韓国で最近、きわめて奇妙な出来事があった。
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BTSによるソウル・光化門(クァンファムン)での公演は、韓国の国益に大きく寄与するイベントであり、他国から羨望のまなざしを向けられるような出来事だった。ところが、その恩恵を受けるはずの韓国のネットユーザーや一部メディアが、激しい非難を浴びせたのだ。
イベント進行上の技術的な問題を指摘するレベルを超え、特定の会社や歌手に公的な広場を使用させたことは「特恵(特別扱い)」だとして問題視した。さらには、公演自体を最初から許可すべきではなかったという根本的な批判まで出てきている。
これは一過性の騒動ではない。以前から続いていた文化界の流れとネット上の世論が結びついたことで現れた現象だ。
“文化議論”の場では、古くから「国益」という価値に対する拒否反応が存在してきた。大衆芸術家本人はそうではない場合が多いが、大衆芸術を取り巻く言説を形成する文化知識人の間では、こうした傾向が顕著だった。彼らの影響を受けた一部のメディアでも、一貫して見られた姿である。
多くの国で、“文化議論”の場は概して進歩的な知識人が主導する。保守陣営は道徳や社会秩序を掲げて文化的表現を抑圧することが多いため、個人の自由な表現を重視する進歩的知識人が文化の議論をリードすることになる。
進歩派は一般的に左派的な傾向を帯びるが、伝統的な左派は過去、階級問題を核心に据えていた。そのため、階級意識の目覚めを妨げる国家主義に対しては批判的にならざるを得なかったのだ。
このように、進歩左派は本来、「国家」や「国益」を前面に出すことに対して好意的ではなかった。現実の社会主義圏が崩壊した後、この流れはさらに強まった。階級中心の思考から一歩進み、同じ階級の内部でも発生する多様な権力関係に注目するようになったのである。
例えば、労働者階級の内部でも性的アイデンティティや人種などによって、さまざまな差別が生じうるという主張が代表的だ。フェミニズム、人種問題、性的マイノリティに関する議論などが、21世紀の進歩的なアジェンダの核心となった理由がここにある。
この過程で「国家」という巨大な単位から次第に遠ざかり、個別の主体に集中するようになると、「国家・国益・民族」を掲げることは古臭い、あるいは不当であり、さらには暴力的なものだと認識され始めた。特にこうした思想の流れがフランスを中心に現代のヨーロッパで展開されたことで、韓国の文化知識層にも少なくない影響を及ぼした。
ヨーロッパには、国益を掲げた帝国主義による侵略や世界大戦、そして国家を優先した全体主義体制を通じて、膨大な人命を犠牲にした歴史がある。その反動として「国家」そのものに対する拒否感が強まった。
だが、われわれ韓国は国益を十分に守れなかったために植民地支配を経験した国だ。ヨーロッパの帝国とは全く条件が異なる。
にもかかわらず、韓国もまた軍事政権時代に国家を掲げた全体主義的な統治を経験した。
当時、フォークソング歌手への取り締まりなど、大衆芸術界に対する弾圧が極めて激しかったため、文化知識人の間では国家を前面に出した大衆扇動に対する拒否感が、一種の常識として定着した。
こうした背景があるため、「国益のためにBTSの公演に公的な広場の使用を許可し、国家が秩序管理を担い、市民が一定の不便を甘受しよう」という主張に拒否感を覚えるのである。こうした拒否感は、行事の過程で発生した諸問題を拡大解釈し、非難するという形で表出された。
文化議論界のこうした流れとは対照的に、一般のネットユーザーの反応はまた別の様相を見せている。
オンライン上では、いわゆる「クッポン(自国称賛)」コンテンツが流行するほど、国家を前面に出す傾向も存在する。韓国が世界で活躍しているというニュースに、個人的な自負心や代理満足を覚えるからこそ現れる現象だ。
韓流も同様である。海外で韓国のスターが注目されているというニュースに、多くの人が誇りを感じる。しかし、今回のBTSの公演はソウル都心、それも光化門一帯の交通規制を伴ったため、状況が変わった。
最近の若いネットユーザーは損得にきわめて敏感だ。都心の規制やさまざまな雑音は、直ちに「不利益」として認識された。そこに、公的施設である広場を使用しながら十分な使用料を支払っていないという認識が加わり、「不当だ」という感情が拡散して、結果として猛烈な非難が噴出したのである。
都心の規制やメディア報道を通じて体感される市民の不便は、直接的かつ即時的だ。一方、BTSの公演がもたらす国益は目に見えない。これを理解するには二段階の思考が必要となる。
第一に、この公演がどのように国益につながるのか。第二に、その国益が個人の生活とどのような形で結びついているのか、という認識だ。しかし、多くの若いネットユーザーは、こうした抽象的な論理よりも、目先の不便という具体的な不利益に対してより敏感に反応した。
かつて若年層は、輸出を手掛ける大企業に対しても批判的だった。しかし、時間が経つにつれて、こうした企業活動が最終的には国家全体の利益につながるという認識が広まり、今ではむしろ応援する雰囲気が形成されている。
だが、こうした認識はエンターテインメント産業にまでは十分に広がっていない。韓流を牽引する芸能事務所もまた、国家の利益に寄与する存在であるにもかかわらず、オンライン上では批判の対象になりやすい。これは、製造業のように直接的な収益を生む構造ではなく、国家の「象徴資本」を蓄積する形で貢献しているためだろう。
国家のブランド価値、すなわち象徴資本を高めることは、単純な輸出に劣らず重要な経済的効果をもたらす。そして国家の利益は、最終的にはそこに属する個人の利益へとつながる。こうした認識がより明確になる必要がある。韓流の事務所やスターの活動を支持すべき理由は、彼らの利益のためではなく、究極的には自分自身の利益と結びつくからだ。これこそが「国益」という概念の本質である。
現在、エンターテインメント産業において最も圧倒的な国益を創出している金字塔的なスターは、BTSである。今回の光化門公演もまた、そのような効果が十分に予想された行事だった。むしろ国家レベルで誘致に乗り出すべき性質のイベントだ。
ところが、これを私企業である所属事務所HYBEが主導したという理由で批判が集中し、結果的には称賛よりも悪評のほうが大きくクローズアップされてしまった。
このように国内の世論が冷ややかな場合、今後、韓流の事務所やスターたちは、国内での大型イベントに対してさらに消極的にならざるを得ない。これは結局、我々全員の損失である。
国益とは、単なる国家主義的なスローガンではなく、共同体全体の現実的な利益と結びついた概念だ。韓国はこれまで国益のために輸出大企業を支援することで経済成長を遂げ、その成果を社会全体で共有してきた。韓流エンターテインメント産業もまた、同じ役割を果たすことができる。
韓流の事務所やスターの活動を、より寛容な目で見つめる必要がある。単なる牽制の対象ではなく、我々の共同体がその成果をどのように活用していくべきかについて、真剣に考えるべき時期に来ているのだ。
●国際サイバー大学、ハ・ジェグン特任教授
(記事提供=時事ジャーナル)
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