先日、自分が利用するすべてのプラットフォームのアルゴリズムが一斉にある動画を勧めてきた。コメディアンのイ・スジが幼稚園教諭に扮し、激務と保護者からのクレームに振り回される日常をパロディ化したものだった。
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動画の反響は凄まじかった。再生回数は543万回を超え、コメントは2500件以上にのぼっている。
この動画に寄せられたコメントは、普段このコメディチャンネルに書き込まれるものとは全く性質が異なる。いつもなら共感やジョークが飛び交うチャンネルだが、この動画に限っては、業界関係者による告発と涙の訴えで埋め尽くされている。
去る2月、インフルエンザによる高熱にうなされながらも病欠が取れずに働き続け、亡くなった20代の幼稚園教諭の実例まで言及され、いわゆる「モンスターペアレンツ」をはじめとする劣悪な勤務環境が議論の的となったのだ。
年初に話題を呼んだコメディアン、カン・ユミの「中年ナムミセ」というタイトルの動画も、似たような層を風刺していた。「ナムミセ」とは、男性中心に思考・行動し、男性に認められることに執着する女性を指す略語の流行語だ。
これら2つの動画の共通点は、これまで告発や批判の対象になりにくかった集団が、表面化するきっかけになったということだ。社会的に最も「無害な集団」と見なされてきた中年女性、さらに絞れば「母親」という枠組みが、加害者としてスポットライトを浴びる視線が主流に浮上した、その号砲と言えるだろう。
実際、クリエイターたちの話を直接聞いてみると、こうした風刺動画を作る際、その集団を批判しようという特別な意図を持って企画することは意外にも少ないという。素材を見つけたら、その対象の特徴をいかに完璧にコピーし、共感と笑いを得るかが彼らの目標なのだ。
実際に前述の2人のコメディアンは、卓越した演技力で「周囲にいそうな人々」の態度を再現し、感嘆を誘う。つまり、制作者側からすれば、中立的な視線で抽出した多様な人間模様の断面が受け手の反応によってある時は「自分もそうだ」という共感の笑いになり、またある時は鋭い風刺として機能するということだ。
今まさに中年に差し掛かり、既得権益層となった一部の「最近の母親たち」の振る舞いがこれほど大きな共感と反響を呼ぶということは、この階層とのやり取りの中で直接不快な経験をした人が増えている証左でもある。
動画のコメント欄や各コミュニティの反応を見ると、「こうした人々は、たまたま出くわす極一部ではなく、かなりの割合を占めている。しかし本人は、自分がその類に属していることに気づいていない」という意見が少なくないのが痛烈だ。
今の中年層は、初めて個人としてのアイデンティティを自覚し、それを持ち続けながら年を重ねている世代だ。大学進学率が低かった親世代とは異なり、高等教育が普遍化した時代に教育を受けてきたため、自己効力感が高く、自身の合理性を疑わない。
特にイ・スジの動画の中の「母親たち」からは、これといった悪意はないものの、教養を持って利己的な典型性がうかがえる。彼女たちは、数十年前の権威主義的な社会において、虐待に近い扱いを受けてきた学生でもあった。
筆者は賄賂を強要する教師、家が貧しいという理由で露骨に差別される同級生、派手な色の服を着ただけで残酷に殴られる友人、早熟な生徒に言い寄る教師などを目の当たりにしながら学生時代を過ごした。卒業して力のある大人になったら、不当なことをする者たちを懲らしめたい、と思うことが多々あった。
こうした考えを持つ同世代が多かったのか、彼らが本当に力のある大人になった時、多くのことが変わった。しかし、この変化は均衡点を超え、反対側へと大きく傾いている。
教権と呼べるものが残っていない学校では今、「なぜうちの子が仲良しの友達の隣に座れないのか」「なぜ献立が貧相なのか」「一部屋に割り当てられた人数が多く、子どもがよく眠れない」といった細かいクレームのために、修学旅行や遠足がなくなる傾向にある。
問題は、彼らが「合理的に変えた」と信じていることが、しばしば歪んだ確信を生むという点だ。
自分が子どもの頃に経験したような不当な扱いを我が子には受けさせまい、という意志は頻繁に一線を越える。また、そうやって押し通して要求が貫徹された経験は、さらなる大きな、そして頻繁な要求へとつながる。
そのため、歴史上最も民主的な親であるはずの最近の中年層は、時として他人に対してだけは非民主的な行動をとることがある。
親切で合理的な人物に見える態度で教師やサービス職、周囲の人々に接するが、前述の2つの動画のように、ふとした瞬間に本心を露呈させる。では、今の中年世代は概して、下の世代から批判されて当然の「厄介な存在」なのだろうか。
今回の幼稚園教諭の動画の波及力が大きくなるにつれ、いわゆる「ママカフェ(育児コミュニティ)」の反応に注目が集まった。動画にコメントした人々は、「あんな保護者はいない」と否定する書き込みが上がるか、あるいはまったく反応がないだろうと予測したが、いざ時間が経ってみると期待とは異なる反応が出ている。
「ああいう振る舞いはやめよう」という自浄の声が多く、教諭の待遇が改善されるべきだという主張も支持を得ているのだ。常識的な社会を作ろうという意見が主流となり、同調しない人々が沈黙しているこの状況は、私たちがこの辺りで自らの姿を鏡に映してみる好機かもしれない。
ひょっとすると、私たち誰もが部分的には「モンスターペアレンツ」である可能性がある。
故チョン・ジュヨン現代グループ名誉会長の「やってみたか?」という問いかけを伝説として胸に刻んでいるこの世代は、「できるだけのことはやってみよう」という積極的な態度で門を叩き、ここまでやってきた。「こんな風にもしていただけますか?」という問いかけを通じて、無理なことを可能にしてきた経験がある。これといった自己啓発的な傾向がない人々にも、これくらいの積極性はある。
人生のいかなる局面においても、限界までやり尽くさなければ気が済まないこうした習慣は、どうしてもマニュアル外のことまで要求してしまいがちだ。
効力感と欠乏を同時に抱える私たちが、自分や家族のために「少し無理を通してみた」試みに過ぎなかったとしても、その小さな試みが積み重なり、誰かにとってはPTSD(外的後ストレス障害)を引き起こすほどの圧迫になり得るということを、今は理解できなければならない。
欠乏、しぶとさ、自己愛が混ざり合って形作られた動画の中の中年の姿に対し、「私はああではない」という回避や「現実はあんなものではない」という否定で対応するのではなく、マニュアルに従うことのできる大人になってみることだ。
変化に素早く対応し、適応することに長けた私たちなら、次の変化が自分自身に向けられることも、そう難しいことではないはずだ。
●ナム・インスク作家
(記事提供=時事ジャーナル)
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