かつて横浜F・マリノスや柏レイソルでプレーし、ワールドカップ2大会に出場した元韓国代表DFユ・サンチョルさんがこの世を去って5年が経った。
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ユ・サンチョルさんは2021年6月7日にこの世を去った。49歳だった。
1971年10月18日生まれのユ・サンチョルさんは、大学卒業後の1994年に韓国Kリーグの現代(ヒョンデ)ホランイ(現・蔚山HD FC)でプロデビュー。GK以外であればすべてのポジションでプレーできる“名ユーティリティ”として活躍し、Kリーグでは1994年にDFとして、1998年にMFとして、2002年にFWとして年間ベストイレブンに選出された。1998年には16試合14Gで得点王に輝き、通算102試合34G8Aを記録した。
Jリーグでは1999~2000年に横浜FM、2001~2002年に柏、2003~2004年に横浜FMと渡り歩き、2000年には22試合17Gで得点ランキング3位に入った。2003~2004年には横浜FMのJ1連覇も経験した。J1通算113試合44G。
韓国代表では歴代6位タイとなる124試合に出場し、18Gを記録。1994年広島アジア大会、1995年ダイナスティカップ、1996年アジアカップ、1998年ダイナスティカップ、1998年フランスW杯、1998年バンコク・アジア大会、2000年アジアカップ、2002年日韓W杯、2003年東アジアサッカー選手権などに出場した。
2006年に現役引退後、翌2007年には韓国地上波KBSで放送されたサッカーバラエティ番組『飛べ、シュットリ』に「FCシュットリ」の監督として出演した。
7歳程度の幼い子どもたちがサッカーを通じて成長するストーリーを描いた同番組で、「FCシュットリ」の一員として登場したのが現韓国代表MFイ・ガンイン。当時から才能の片りんを発揮していた“神童”について、ユ・サンチョルさんは「(イ・ガンインは)もはや“大人”として見れば良い。私と同じ年齢層の選手でも難しい技術を持っている」と評価していた。イ・ガンインはそんなユ・サンチョルさんを現在も「最も特別な恩師」と慕う。
その後、2009年に春川(チュンチョン)機械工業高校サッカー部の監督に就任し指導者のキャリアをスタート。2011~2012年は大田(テジョン)シチズン)、2014~2017年は蔚山大学、2018年は全南(チョンナム)ドラゴンズ、2019年は仁川(インチョン)ユナイテッドで指揮を執った。今回の北中米W杯に出場する韓国代表DFソル・ヨンウは蔚山大学時代の教え子である。
そんなユ・サンチョルさんは、仁川の監督を務めていた2019年11月にすい臓がんのステージ4と診断され、同年シーズン限りで監督を退任した。以降は治療に専念し、2020年2月23日にはJ1開幕戦が行われた横浜FMの本拠地・日産スタジアムを訪問して古巣ファン・サポーターに挨拶。「必ずまた戻ってくる」と約束し、抗がん治療にも耐えていたが病状が急激に悪化。6月7日19時ごろ、ソウル峨山(アサン)病院でこの世を去った。
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