いったい、何を今さら議論しているのだろうか。
【画像】「鼻が歪んで曲がった…」韓国で整形した外国人DJの悲劇
今年の第70回ミス・コリア選抜大会において「真」、すなわち最高位に輝いたウ・ソユンに対して、“整形疑惑”が浮上する騒動が先日起きた。
一部からは「整形した人がミス・コリアになっていいのか」「公平性に問題があるのではないか」といった声まで上がった。
もちろん、前提として確認しておくべきことがある。ウ・ソユン自身が整形したと公言した事実はない。
今回の疑惑は、彼女が16歳であった2018年出演のテレビ番組映像と、現在のミス・コリアのプロフィール写真やステージ上の姿を比較し、「印象が違う」としたネット上の指摘から端を発している。
10代半ばと20代前半とでは顔立ちも変化する。体重の増減に加え、ヘアメイクや照明、撮影環境などによっても印象は大きく変わる。ゆえに、写真や映像のみを根拠として、ウ・ソユンが整形したと断定することは不可能である。
その事実を踏まえたうえで、あえて今回の議論をさらに一歩深掘りしてみたい。
そもそも、仮に整形していたとして、それがミス・コリアの優勝資格を失うほどの重大な問題なのだろうか。
少し過去を振り返れば、この種の騒動が決して初めてではないことがわかる。
2012年のミス・コリア「真」に選ばれたキム・ユミは、受賞後にテレビ番組へ出演した際、目と鼻の整形を自ら認めている。
これは当時、過去の卒業写真がインターネット上に拡散され、現在の顔立ちとの違いが注目されたことを受けての告白であった。
キム・ユミは、自身から「生まれつきの美人」だと主張したことはないと説明したうえで、「がっかりさせた部分については申し訳なく思うが、『もともと自然美人でかわいかった』とだましたくない気持ちから正直に申し上げた」と率直に語っている。
さらに、2001年に「真」に選出されたキム・ミンギョンも、後年になって二重まぶたの手術を複数回受けたことを明かしている。
ほかにも、2010年の「美(3位)」に選ばれたハ・ヒョンジョンは高校時代に目の施術を受けたとテレビで告白しており、2020年の「真」キム・ヘジンも後年になって鼻の手術と歯の施術を受けたことを告白している。
つまり、整形経験を公に認めたミス・コリア受賞者は、少なくとも10年以上も前から存在しているのである。
それにもかかわらず、2026年を迎えた今でも「整形していたらミス・コリアに出てはいけないのでは」という議論が繰り返されることには、違和感を覚えざるを得ない。
しかも報道によれば、2026年の第70回ミス・コリアの公式参加資格において、整形手術を出場禁止理由とする規定は確認されていないという。
少なくともルール上、「整形経験があれば失格」となる大会ではないということだ。にもかかわらず、受賞者に整形疑惑が浮上するたびに「ミス・コリアとしてふさわしいのか」という議論が繰り返されている。
ここまで来ると、問題は大会規定というよりも、観る側がミス・コリアに何を求めているのかという点に行き着く。
「韓国を代表する美人を選ぶ大会」。ミス・コリアと聞いて、そのようなイメージを抱く人は多いはずだ。
そこから派生して、「生まれつき美しい女性の頂点を決める大会」と受け止める人がいたとしても不思議ではない。
ゆえに、仮に整形経験のある女性が最高位に選ばれたと知った際、「それなら何を競っているのか」と感じる人が出てくるのも当然である。この感覚自体を、完全に時代遅れだと切り捨てる必要はないだろう。
むしろ今回の論争において興味深いのは、整形が珍しい行為だからこそ問題視されているわけではないという点だ。
韓国では長年にわたり、美容医療や整形が身近なものとして語られてきた。実際のところ、整形経験を公に明かす芸能人も現在では決して珍しい存在ではない。
ミス・コリアの受賞者自身が整形経験を認めた事例も、すでに複数存在している。
それでもなお、「ミス・コリアだけは自然美人であってほしい」という世間の期待は消え去らない。それはなぜか。
手を加えて美しくなることが日常的な社会においては、反対に「何もしていないのに美しい」という状態のほうが希少価値を持って映るのである。
外見を変える手段が増加すればするほど、「生まれ持ったまま」という価値はむしろ特別なものとして際立っていく。
そう考えると、ミス・コリアに“自然美人”を求める心理も、ある程度は理解できる。
単に「整形はダメ」という話ではない。数多くの方法で美しくなれる時代だからこそ、「何もしていないのに、ここまで美しい」という事実そのものにプレミアムを感じるのだ。
そうした感情が、「韓国を代表する美人」を選ぶミス・コリアという舞台において、とりわけ色濃く表れるのではないだろうか。
つまり、今回の論争で浮き彫りになったのは、整形の是非というよりも、「ミス・コリアなら生まれつき美しくあってほしい」という、いまだ根強く残る期待なのかもしれない。
だからこそ今回、本当に問うべきなのは「ウ・ソユンは整形したのか」という一点のみではない。
本人が認めてもいない整形疑惑を、過去の写真だけで断定するのはあまりに乱暴である。
そして、仮に整形していたとしても、それを禁止する規定が存在しない以上、それだけで直ちに受賞資格の問題へと結びつけることには無理がある。
それでもなお論争は起きる。その事実自体が、韓国社会における「美」に対する複雑な心理を示しているのではないだろうか。
整形が身近な社会になったからこそ、逆に“何もしていない美しさ”に希少価値を感じる人々が存在するのかもしれない。皮肉なのはまさにその点である。
2026年になっても同じ論争が繰り返されるのは、ミス・コリアのルールが時代遅れだからではない。
観る側の「美」に対する欲望が、むしろ時代とともに複雑化しているからなのかもしれない。
(記事提供=スポーツソウル日本版)
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