1981年に韓国の“不良矯正部隊”で発生した収容者に対する集団発砲事件に関連して、当時の現場指揮官が45年越しに事件の真相を明かし、当局に真相解明を求めた。
『聯合ニュース』など複数の韓国メディアが報じたところによると、江原(カンウォン)第5歩兵師団三清(サムチョン)教育隊で第3中隊長を務めたハン・ドンチョル氏(71)が8月20日、ソウル中区(チュング)にある「真実・和解のための過去史整理委員会(真実和解委)」の前で記者会見を開いた。
ハン・ドンチョル氏は「第5師団三清教育隊一斉射撃殺傷事件」に関連して証言し、真実和解委に真相解明の申請書を提出した。
三清教育隊は、1980年8月から1981年1月まで、全斗煥(チョン・ドゥファン)率いる新軍部が「社会悪の根絶」を掲げて設置した強制収容機関である。
名目上は「治安保護」や「犯罪者の教化」がうたわれたが、実際には粛軍クーデターに対する市民の抵抗を抑え込み、政治的弾圧や恐怖政治を敷くための組織だった。
当時は新軍部が1980年の戒厳布告を根拠に6万人以上を令状なく検挙し、このうち約4万人が三清教育隊に強制的に入隊させられた。収容者には罪のない一般市民や学生が多く含まれ、純化教育や労働奉仕などを通じた大規模な人権侵害を受けた。
この三清教育隊によって現場で54人が死亡し、後遺症によって397人が亡くなり、精神障害などの負傷者2678人が出たとされている。
その後、2018年12月28日に大法院(最高裁)が三清教育隊の根幹となった戒厳令第13号に対する違憲判決を下し、違法な公権力の行使による人権侵害事件であると判断された。
ハン・ドンチョル氏が証言した「第5師団三清教育隊一斉射撃殺傷事件」とは、1981年夏、教育隊における残虐な暴力行為に抗議し、スクラムを組んでデモを行っていた収容者らに対し、軍が実弾を発砲した事件である。
証言によると、事件の発端は「1中隊長が年老いた収容者のすねを叩いたこと」だという。「収容者たちは“お前たちに親はいないのか”、“三清教育隊を即刻中止しろ”、“我々を家に帰せ”とスクラムを組み、講義を行った」とハン・ドンチョル氏は言う。
そして、デモ隊と軍が対峙する状況が続いたなかで、収容者の脱出を恐れた連隊長が実弾の装填と射撃開始を命令。その命令が大隊長、さらに中隊長だったハン・ドンチョル氏へと順に伝達され、一斉発砲に至ったという。
同氏はこの一斉発砲によって「少なくとも30~40人の死傷者が発生した」と証言。そのうえで「45年が経った今日、初めて国民の前に立ち、あの日の真実を申し上げ、謝罪するためにこの場に来た」と述べた。
韓国メディアは、会見に同席した「三清教育隊全国被害者連合会」のイ・マンジョク理事長が「ハン・ドンチョル先生は(国家暴力の)被害者であり、加害者でもある。この場に立つまでに多大な苦悩と葛藤があったとされている」とし、「政府はハン・ドンチョル先生の事件以外にも部隊別に生存抗争があった点を認識し、真実和解委に調査してほしい」と訴えていたと報じている。
(文=サーチコリアニュース編集部)
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