“死の淵”から権力の頂点へ 想像を絶する貧困を経験した韓国新大統領・李在明の半生

2025年06月04日 政治 #時事ジャーナル
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約60日間に及ぶ熾烈なレースの末、「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)候補がついに大統領の座を手にした。

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波乱に満ちた彼の人生は、“土のスプーン”と称される貧困層に生まれながらも司法試験合格を果たし、成功の道を切り開いたサクセスストーリーである。

城南(ソンナム)市長や京畿道(キョンギド)知事を経て、“サイダー政治家”(歯切れの良い物言いで注目される政治家)としての存在感を強めると、度重なる司法リスクや命に関わる危機をも乗り越えて、三度目の挑戦でついに大統領の座に就いた。

「土のスプーン」「少年工」からの出発

李在明大統領
(写真=時事ジャーナル)李在明大統領

李大統領は、自らを「土のスプーン(貧困層)」出身と語ってきた。1964年、慶尚北道・安東市(キョンサンブクド・アンドンシ)の山村で7人きょうだいの5番目として生まれた。農業すら難しく、冬には室内の水が凍るほど過酷な環境だったという。

1976年に一家は城南市へと移住。失踪していた父と再会したものの、家族全員が生活のために働かざるを得なかった。回顧録でも「私の幼少期は惨憺たるものだった」と綴っている。

そして中学生だった1979年から2年間、城南市のオリエント時計工場で“少年工”として働くなか、プレス機で腕を負傷し、身体障害6級の判定を受けることに。極度の貧困から2度の“極端な選択”未遂も経験したが、底辺から抜け出したい一心で勉強に打ち込み、検定試験を経て1982年に中央大学・法学部に入学。のちに司法試験に合格し、弁護士となった。

司法修習生時代は成績優秀だったが、当時弁護士だった故・盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の講演に影響を受け、人権派弁護士の道を選択。民弁(民主社会のための弁護士会)や参与連帯など市民運動を通じて、政治の世界へと足を踏み入れた。

2006年の城南市長選(開かれたウリ党)と2008年の国会議員選(統合民主党)では落選を経験するも、政治家としての歩みを止めなかった。

市長・知事を経て、中央政界の表舞台へ

その後、2010年に民主党公認で城南市長に初当選。2014年の選挙では55.1%の得票で再選に成功。6500億ウォン(約650億円)にものぼる市の債務を解消した実績に加え、自身が幼少期に受けられなかった支援を還元したいという思いから、「青年手当」「無償出産ケアセンター」「無償制服」など、“無償福祉3点セット”政策を打ち出し、高く評価された。

中央政界では歯に衣着せぬ発言で存在感を増し、普遍的福祉政策をめぐって朴槿恵(パク・クネ)政権と鋭く対立。国会前で断食デモも展開した。特に、朴槿恵元大統領の弾劾の局面では一躍“次期大統領候補”として名を上げ、2017年の「共に民主党」の予備選では文在寅(ムン・ジェイン)、安熙正(アン・ヒジョン)に次ぐ得票(21.2%)で注目を浴びた。

続いて、2018年の京畿道知事選では56.4%を獲得し、当選。連邦制並みの地方分権、地域通貨の普及、南北経済特区の設置、直接民主主義の拡大を掲げ、「基本シリーズ」と呼ばれる代表的政策ブランドを定着させた。

またコロナ禍では、宗教団体の「新天地」に対して強硬な防疫対応を見せ、“ブレない政治家”としてのイメージを一層印象付けた。

しかし、同時に私生活に関する疑惑や“司法リスク”が浮上。実兄の強制入院に関する虚偽発言の疑いで起訴され、控訴審で当選無効となる有罪判決を受けたが、2020年に最高裁が無罪判決を下し、危機を乗り越えた。

敗北の先に見えた光、そして“党内一強”体制へ

党内の有力候補であった安熙正(元・忠清南道知事)、故・朴元淳(パク・ウォンスン、元ソウル市長)が失脚したことで、代案として浮上。2021年には李洛淵(イ・ナギョン)元首相との接戦を制し、大統領選の本選出馬を決めた。

しかし、党内選挙で李氏が提起した「大長洞(テジャンドン)開発特恵疑惑」が尾を引き、2022年の第20代大統領選では尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領に0.73ポイント差で惜敗。

李在明大統領
(写真=時事ジャーナル)李在明大統領

それでも敗戦直後から休まず、2022年6月の地方選では党総括選対委員長を務め、宋永吉(ソン・ヨンギル)前代表の地盤だった仁川・桂陽(インチョン・ケヤン)乙選挙区にも出馬し、初当選。続いて同年8月の党大会では代表に選出され、党の中心人物として存在感を固めた。

その一方で、危機も続いた。尹政権に対抗してハンストを敢行するなか、自身の司法リスクが再燃。2023年9月には国会で逮捕同意案が可決され窮地に。しかし、裁判所が逮捕状を棄却したことで政治生命を繋ぎとめた。

さらに2024年1月には釜山(プサン)での街頭演説中に首を刺されるなど、命の危機にも瀕したことは記憶に新しい。

そうした数々の試練を乗り越え、2024年4月の総選挙では民主党を中心とする野党勢力が192議席という圧勝。党内では「非明(非イ・ジェミョン)派」を排除する“公認一新”を通じて親李在明派体制を築き、リーダーシップをより強固にした。

李在明大統領
(写真=時事ジャーナル)李在明大統領

その後、ライバルである尹錫悦前大統領が2024年12月3日に“非常戒厳”という前代未聞の事態を引き起こしたことで、与野党を問わず李氏への期待が集中。対抗馬不在の“事実上の一強”状態となった。

そして2025年6月3日、大統領選でついに“人生逆転”の物語に幕を下ろした。

(記事提供=時事ジャーナル)

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