高位公職者犯罪捜査処(公捜処)が「内乱首謀者」の容疑を受ける尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領を逮捕した。
公捜処に連行された尹大統領は、直ちに内乱被疑者として厳しい取り調べを受けることになる。
現職大統領が逮捕されるのは憲政史上初めてのことであり、公捜処は尹大統領の取り調べを終え次第、48時間以内に拘束令状を請求する方針だ。
公捜処は1月15日午前10時33分、ソウル龍山(ヨンサン)区の官邸で尹大統領に対する逮捕令状を執行し、身柄を確保した。「12・3非常戒厳事態」発生から43日目のことだった。
公捜処は直ちに逮捕した尹大統領の移送手続きを開始し、尹大統領を乗せた警護車両は午前10時53分頃、政府果川(クァチョン)庁舎に到着した。
捜査チームは尹大統領を対象に、すぐに被疑者としての取り調べを開始する方針だ。公捜処は取り調べのために、約200ページに及ぶ質問書を準備している。公捜処非常戒厳タスクフォース(TF)の責任者であるイ・デファン部長検事と、事件を担当するチャ・ジョンヒョン部長検事が映像録画室で直接、尹大統領を調査する予定だ。
現職大統領としての待遇を考慮し、取り調べ前にオ・ドンウン公捜処長やイ・ジェスン公捜処次長が尹大統領と面談する可能性もある。
尹大統領は公捜処の捜査および逮捕令状の請求・発行をすべて「違法」と規定しているだけに、黙秘権を行使する可能性が高いと見られている。
公捜処はこの日、厳しい取り調べを終えた後、尹大統領を京畿道・義王(ウィワン)市のソウル拘置所に収監する予定だ。
取り調べ終了後、公捜処は尹大統領に対する拘束令状を請求する。被疑者を拘束するには、逮捕から48時間以内に拘束令状を請求しなければならない。
尹大統領は昨年12月18日、25日、29日の3回にわたり、被疑者として出頭し調査を受けるよう求めた公捜処の要求にすべて応じなかった。
これを受け、公捜処は12月30日に尹大統領に対する逮捕令状を請求し、ソウル西部地裁は有効期間1週間の逮捕令状を発行した。
「正当な理由なく出頭要求に応じなかったうえ、応じない恐れがあり、罪を犯したと疑うに足る相当な(妥当な)理由がある」というのが裁判所の判断だった。
公捜処は発行から4日目の1月3日、共助捜査本部を構成した警察と共に尹大統領の官邸を訪れ、逮捕令状の執行を試みた。しかし大統領警護処と軍人約200人による人間の壁や、3段階の車両バリケードに阻まれ、5時間30分で作戦は失敗に終わった。
その後、公捜処は1月6日に逮捕令状を再請求し、再び発行を受けた。そして1月15日、官邸への進入から3時間で1次、2次、3次の阻止線をすべて突破し、令状を執行した。
大統領逮捕を阻止するために最終的な阻止線を形成していた大統領警護処は同日、共助本部の令状執行を妨害せず、物理的な衝突なく完了した。警護処の指揮部は「強硬」な立場だったが、内部の動揺のなかで警護官たちは上層部の指示に従わなかったと伝えられている。
尹大統領は逮捕を前に、事前に録画しておいた映像を通じてメッセージを発表し、「不幸な流血事態を防ぐため、一時的に不法な捜査だが、公捜処への出頭に応じることにした」と述べた。
尹大統領は「大韓民国の憲法と法体系を守るべき大統領として、このような不法的で無効な手続きに応じるのは、それを認めるためではなく、不幸な流血事態を防ぎたいという気持ちからだ」と述べ、「残念ながら、この国では法がすべて崩壊した」と付け加えた。
尹大統領は昨年12月3日、違憲・違法な非常戒厳を宣言し、国憲を乱す目的で引き起こされた暴動の総責任者と指摘された。尹大統領はキム・ヨンヒョン前国防部長官(拘束起訴)らと共謀し、非常戒厳の解除を阻止するため、武装した戒厳軍を投入して国会を封鎖した容疑を受けている。
キム前長官らを捜査した検察は、尹大統領が「銃を撃ってでも扉を破壊して引きずり出せ」と発砲命令を下し、「解除されたとしても、私が2度でも3度でも戒厳令を発令すればいいから続けろ」などと発言したとみている。検察は当時投入された軍人が使用した実弾の量が5万7735発に上ると判断している。
公捜処は、検察からキム前長官らに対する起訴状を確保し、容疑に関連する内容を把握した上で取り調べの準備を進めてきた。
さらに尹大統領は、令状なしでウ・ウォンシク国会議長、「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)代表、「国民の力」のハン・ドンフン前代表ら主要政治家10人余りと中央選挙管理委員会の職員を逮捕し、首都防衛司令部の地下施設に収監しようとした容疑も受けている。
尹大統領は「警告性」で戒厳令を発令し、秩序維持のため少数の兵力しか投入していないとして、容疑を全面否認してきた。
(記事提供=時事ジャーナル)
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