日本の植民地支配に抗議し、爆弾を投げて日本軍要人を含む多数の死傷者を出した尹奉吉(ユン・ボンギル)の追悼館が、初めて日本に設立される見通しだ。
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1月29日、韓国SBSによると、その追悼館は「尹義士が1932年に上海での義挙を成功させた後、日本軍に連行され殉国した金沢市にて、今年4月に開館する予定」だという。
報道によると、追悼館の建設事業は10年以上前から推進されてきたが、「日本の右翼勢力による執拗な妨害」により順調には進まなかった。彼らは候補地に集まって集会を開き、「殉国記念碑の説明板が損壊されるといった妨害もあった」そうだ。
そもそも尹奉吉は、日本ではテロリスト、韓国では英雄と、正反対の評価を受ける人物だ。
朝鮮半島が日本の植民地だった1932年4月29日(天皇誕生日)、尹奉吉は上海の日本人街にある虹口公園で行われた祝賀式典会場に侵入し、爆弾を投げて日本軍の要人2人などを殺害した。
この爆発で、後に外相となる重光葵が右足を失うなど、多数の死傷者が出ている。
その場で取り押さえられた尹奉吉は、同年5月、日本の軍法会議で死刑判決を受けた。その後、11月に大阪へ護送され、12月18日に石川県金沢の第9師団司令部拘禁所に移送された。
ここで一夜を過ごした後、石川県の日本軍工兵作業場で銃殺刑に処され、わずか24歳で短い生涯を終えた。
そんな最期を過ごした金沢の中心地である、金沢駅から500mほどの場所に追悼館が設立されるというわけだ。追悼館には、尹奉吉が金沢で過ごした人生最後の瞬間に関する資料が展示されるという。
オンライン上では「とても素晴らしいことだ」「暗い時代に、自らのすべてを捧げて独立運動に尽力した方々がいたおかげで、私たちは今こうして生きている」「反省しない国に歴史を正しく知らせることになる」といった反応が寄せられた。
この追悼館の設立が、日韓両国の新たな葛藤の火種にならないことを願うばかりだ。
(文=サーチコリアニュース編集部O)
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