かつて読売ジャイアンツにも在籍した韓国の元プロ野球選手、趙成珉(チョ・ソンミン)さんが亡くなって13年の歳月が流れた。
1996年、長嶋茂雄監督が率いていた読売ジャイアンツは、「8年契約」という当時としては異例の条件で一人の韓国人投手を迎え入れた。それが、チョ・ソンミンさんだった。
1973年4月5日生まれ。高校時代から“怪物”の異名を取ったチョ・ソンミンさんは、150km近い速球に加え、フォークやシンカーなど多彩な変化球を操る本格派右腕だった。
高校3年生だった1991年には、シンイル高校を鳳凰大旗(ポンファンテギ)全国野球大会と黄金獅子旗(ファングムサジャギ)全国高校野球大会の2冠に導き、韓国高校野球界にその名を刻んだ。
その後、高麗(コリョ)大学進学を経て1996年に巨人へ入団。2年目には11セーブを挙げ、1998年からは先発に転向すると、完投勝利6回(うち完封3回)を記録。上半期だけで7勝を挙げるなど、エースの座を“掴みかける”活躍を見せた。
しかし、その歩みは突然暗転する。同年7月23日のオールスター戦で肘の靭帯を断裂する重傷を負い、ここから歯車が狂い始めた。複数の手術と長いリハビリに臨んだものの、往時のコンディションを取り戻すことはできなかった。
そんな中でも、プライベートでは2000年7月に5歳年上の国民的女優チェ・ジンシルさんと入籍し、“世紀の結婚”として大きな祝福を受けた。翌2001年8月には長男が誕生した。
だが、幸せな時間は長く続かなかった。結婚からわずか1年後、離婚協議が進んでいることが伝えられる。のちに明らかになったのは、第2子を妊娠中だったチェ・ジンシルさんに対し、チョ・ソンミンさんが暴力を振るっていたという事実だった。
怪我と夫婦関係の破綻が重なったチョ・ソンミンさんは、2002年限りで巨人を退団。韓国へ帰国して実業家に転身するものの事業は行き詰まり、再びプロ野球選手としての復帰を模索したが、受け入れ先は見つからなかった。
この間にも離婚をめぐる裁判は泥沼化し、別居中だったチェ・ジンシルさんの自宅で暴力を振るい、警察に連行される騒動も起きている。2004年にようやく離婚が成立した後、韓国球界で現役復帰を果たしたが、目立った成績を残すことはできず、2007年に静かにユニホームを脱いだ。
悲劇はそれで終わらなかった。2008年10月、元妻のチェ・ジンシルさんが突然この世を去ったのだ。
国民的女優の急逝は韓国社会に大きな衝撃を与え、その原因の一端が元夫によるDVにあると受け取られたことで、チョ・ソンミンさんへの批判は一層強まった。「彼女を追い詰めたのはお前だ」という非難が、容赦なく向けられたのである。
さらに、かつて事業を共にしていた義弟までもが亡くなり、チョ・ソンミンさんは社会的にも精神的にも孤立を深めていった。
そして2013年1月、チョ・ソンミンさん自身もこの世を去った。39歳というあまりにも若すぎる最期だった。
当時の韓国メディアは、その死について「彼を苦しめ続けたのは、チェ・ジンシルという存在が残した深いトラウマだった」と総括している。
日本球界の名門・巨人軍でプレーし、一時はスター選手の座に手をかけながらも、彼がたどり着いた結末はあまりにも悲運だった。
それでも、残された2人の子どもたちはそれぞれの道を歩んでいる。
息子のチェ・ファンヒは、「Ben Bliss」の名でラッパーとして活動中。娘のチェ・ジュンヒはインフルエンサーとして注目を集め、今も韓国メディアをにぎわせている。
(記事提供=スポーツソウル日本版編集部)
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