韓国のアン・チャンリム(安昌林)は1994年3月生まれ。京都出身の在日コリアン3世で、空手道場を運営する親の元で小学1年生から柔道を始めた。
筑波大学に籍を置いていた2013年には全日本学生選手権大会を制覇する。
当時、恩師や日本代表チームの監督は、揃って日本への帰化を進めたらしい。
彼が韓国籍ゆえに苦労してきたことを誰よりも知っていた父親もまた、帰化を進めた。しかし、「自分は韓国人だから」と断ったアン・チャンリムは、2014年に韓国へ渡った。
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「韓国に来た理由はたったひとつ。オリンピック金メダルを取るためです」
その言葉通り、アン・チャンリムは早速国内の選手権で優勝。韓国代表の練習パートナーとしてテルン選手村入りを果たした。
実は、過去にも彼と似たような道を歩んだ人物がいる。韓国ではもう“サランちゃんのパパ”でお馴染み、秋山成勲だ。
在日韓国人4世として大阪で生まれた秋山は、近畿大学卒業後に韓国代表としてオリンピック出場を果たすべく、単身で韓国に渡り、釜山市庁所属選手として韓国柔道界に飛び込んだ。
ただ、韓国柔道界に馴染めず、さまざまな差別にも耐えられず日本に戻り、2001年に日本に帰化した。秋山は日本代表として出場した2002年釜山アジア大会で金メダルに輝いている。
アン・チャンリムは、韓国での生活をどう感じているのか。
「最初は(韓国社会の)ルールが全然分かりませんでした。でも同僚たちが親切に教えてくれたおかげで、だいぶ慣れました。韓国の厳しい上下関係に対しても、それを学ぶことでもっと礼儀正しい人間になれたので、良かったと思います」
テルン選手村に入村した後も、ランキングポイントを稼ぐために国際大会を転戦した。2014年にはグランプリ・チェジュでシニア国際大会初優勝。2015年アジア選手権優勝、2016年グランドスラム・パリ優勝、など。
そうした努力もあって、2016年2月にはついに世界ランキング1位まで上り詰めた。
「最初は韓国での厳しい練習についていけず、大変でした。韓国の練習は、世界で一番辛い。だからこそ、いつも通りやれば必ず金メダルを取れると思います」
日本で生まれ育ち、韓国でその才能を開花させたアン・チャンリム。まさに彼は日本柔道と韓国柔道が生み出した“希望”だ。
東京五輪も様々なものを肩に背負って立った晴れ舞台でもあったのだ。
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