1997年に横浜マリノス(現横浜F・マリノス)でプロデビューした中村は、その正確なキックで若くから才能を認められてきた。
2000年にはシドニー五輪で小野伸二とともに日本をベスト8に導くと、同年のJリーグで5ゴール11アシストの活躍を披露し、年間最優秀選手に輝いた。当時は京都パープルサンガに在籍した元韓国代表MFパク・チソンのライバルにも挙げられた。
日本代表での経歴も華やかだ。2000年にA代表に初招集された中村は、同年のアジアカップ予選ブルネイ戦で初ゴールを決めた。一方で試練も多く、2002年日韓W杯ではフィリップ・トルシエ監督の招集を受けられず、無念の落選を経験した。
中村は2002年にイタリア・セリエAのレッジーナに進出し、その目を海外に向けた。
以後、2005年にスコットランドの名門セルティックに移籍した中村は全盛期を迎え、2006-2007シーズンにはリーグ優勝とともに自身もスコットランドPFA年間最優秀選手賞、リーグベストイレブン、スコットランド・サッカー記者協会最優秀選手賞を受賞。UEFAチャンピオンズリーグではマンチェスター・ユナイテッド相手にフリーキックでゴールを決め、当時マンチェスター・Uを率いた名将アレックス・ファーガソン監督の関心も集めた。
それから2010年に横浜FMに復帰し、ジュビロ磐田、横浜FCと渡り歩きプレーを続けた中村。26年という現役生活を続けられたのも、彼の完璧な自己管理能力があってこそのことだろう。
(記事提供=OSEN)