イ・ジョンボムは1997シーズン終了後に中日へと移籍した。1993年にヘテ・タイガース(現KIAタイガース)でプロデビューした後、翌1994年には打率0.393、84盗塁という圧倒的な数字で正規リーグMVPに輝いた。1996年と1997年には球団を韓国シリーズ優勝に導いている。野球の天才は、デビューからたった5年でこれ以上ないところまでに登り詰めてしまったのだ。
そんななか、1996年にソン・ドンヨルを獲得していた中日は、リードオフマンかつ遊撃手としてイ・ジョンボムを指名した。当時、ヘテは親企業の不渡りの影響で深刻な資金難に直面したこともあり、イ・ジョンボムの日本行きを推進した。
結局、イ・ジョンボムは移籍金4億5000万ウォン(約4500万円)をヘテに残し、中日のユニホームを着た。契約金は5000万ウォン(約500万円)、年俸は8000万ウォン(約800万円)だった。決して少ない金額ではなった。当時はIMF危機もあり、100円当たり2000ウォンに近い時代だった。
そんなイ・ジョンボムが日本に進出した初年度の1998年に、息子イ・ジョンフが名古屋のある病院で生まれた。代を次ぐ打撃の天才の誕生だった。