韓国3大芸能事務所のひとつであるSMエンターテインメントが発掘し、金と労力を惜しまず育て上げた東方神起は、デビュー直後から一躍人気者に。
デビュー1年目にして“韓国のグラミー賞”と呼ばれる「ソウル・ミュージックアワード」の新人賞など、韓国の歌謡賞を総なめにしていた。
また、2004年11月に初来日し、翌2005年4月に日本デビューを果たすと、2007年には日本武道館ライブを成功。
2008年にはシングル『Purple Line』が初のオリコンチャート1位を獲得し、K-POPグループとして初めて紅白歌合戦に出場するなど日本でもブレイクを果たした。
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ただ、注目を浴びるスターがゆえにさまざまな逆風にもさらされてきた。
特に有名なのは、2009年~2010年の脱退・分裂騒動だろう。
もともと5人組として活動していた東方神起は、人気絶頂のなかキム・ジェジュン、パク・ユチョン、キム・ジュンスの3人がSMエンターテインメントから脱退し、グループは分裂。現在のユンホ&チャンミンのデュオとして再スタートを切ったのだ。
この脱退・分裂騒動は韓国はもちろん、日本でもさまざまな余波を生み、東方神起と彼らを生み出した韓国最大手芸能事務所SMエンターテインメントにもさまざまな危機説が浮上していた。
だが、2人になっても東方神起の勢いは衰えなかった。
例えば、2012~2014年の3年間には、ライブツアーに200万人以上のファンを動員。これは海外アーティストとして史上最速のスピードだという。