アレクサンドロス大王は敵軍を容赦なく焦土化したが、それだけ抵抗も激しかった。
【注目】最終結論を出せない韓国憲法裁、尹大統領の復職が濃厚?
悩んだ末に、師であるアリストテレスの助言を受け入れて融和政策を行ったところ、すべてが円滑に進むようになった。
このような古代の英雄の話を持ち出したのは、憲法裁判所による「尹錫悦(ユン・ソンニョル)判決」後に予想される混乱が、しきりに頭をよぎるからだ。
最近、憲法裁判所の最終判決を前にして、両陣営は互いを焦土化しようとする敵対的な発言を浴びせ合っている。もはや準戦争状態ともいえるが、そうであればこそ、国民に向けた融和政策が切実に必要であると感じる。
「民衆革命」「抵抗権」「国会解散」といった自傷的な言葉が、有力な論客や宗教人、与野党の国会議員の口から遠慮なく飛び出している。はたして、韓国国民は憲法裁判所の決定後に吹き荒れる荒波をどう乗り越えるべきだろうか。
3月26日、最大野党「共に民主党」李在明(イ・ジェミョン)代表の控訴審が開かれたソウル瑞草洞の裁判所周辺や光化門広場一帯は、怒れる支持者と反対派のプラカード、青い風船、民衆歌謡、サングラスと太極旗で埋め尽くされた。
全国農民会総連盟(全農)側は、トラクター20台と1トントラック50台を動員して市内中心部へのデモ行進を試みたが、阻止された。この過程で「アカ判事を処断せよ!」「車道に飛び込んで死にたい!」などの叫びが響いた。
昨年12月3日の戒厳令発令以降、4カ月にわたり無政府状態に近い国政の空白、外交の空白、安全保障の空白、民生の空白が続いている。
与野党および保守・進歩陣営間の対立は、嵐の前の静けさを思わせる。「共に民主党」は、党本部そのものを光化門の真ん中に移し、街頭での全面戦闘態勢を整えた。
アメリカのトランプ大統領は連日、韓国をはじめとする同盟国をゴリアテ(旧約聖書『サムエル記』に登場するペリシテ人の巨人戦士)のように押し込んでおり、北朝鮮の金正恩もいつでも対南挑発を強行し得る状況だ。
韓国の与野党は、尹錫悦の拘束取り消し→ハン・ドクスの弾劾棄却→李在明2審無罪と一進一退を繰り返しており、両陣営の支持者は怒りの頂点に向かって突進している。ダニエル・ベルの言葉を借りれば「暴徒としての大衆」がまさにここにある。
韓国は1987年の民主化以降、幾多の政治的激変にもかかわらず、漸進的に発展してきた。
2017年のチョ・グク事態や朴槿恵(パク・クネ)弾劾のときも、キャンドル勢力と太極旗勢力が広場で真っ二つに割れて激しく対立したが、暴力的衝突という不祥事は起きなかった。
韓国の集会・デモ文化は、世界中から「K-政治」と称賛されたこともある。K-政治の最も重要な特徴は「非暴力」だ。アメリカでさえ、2021年大統領選の際に敗北したトランプ支持者が連邦議会を占拠し、警官120人余りが負傷、少なくとも700人以上が逮捕され、警官1人と暴徒4人が死亡した。
2023年1月、ブラジル大統領選でも、ボルソナロ前大統領は敗北を認めず、過激な支持者を扇動して銃や刃物、バットが飛び交い、多数の死傷者が出た。同年のペルーでは、ペドロ前大統領の弾劾に反発するデモが発生し、非常事態が宣言され、少なくとも27人が死亡、600人以上が負傷した。
これに比べて、かつては世界的水準のK-政治と呼ばれた韓国の街頭状況は、12・3戒厳令以降は悪化の一途をたどり、ついにはマッチ1本で火の海に包まれそうな一触即発の雰囲気に陥っている。
憲法裁判所の最終決定後、大韓民国は民主主義の水準について、再び国際社会の評価を受けることになるだろう。
韓国政治が一日も早く正常化するための道は、言うまでもなく憲法裁判所の決定を受け入れることだ。現在の憲法裁は、大統領の職務停止、政府機能の麻痺、国会による弾劾への執着、与野党の死に物狂いの争いの中で、唯一信頼し頼れる支えであり、最後の砦だ。
憲法裁が完璧でないのは事実だが、国論と陣営が鋭く対立している中では、他の選択肢はない。今ここで憲法裁を否定すれば、それは国家の存立そのものを否定することに等しい。
準内戦状態にある韓国人こそ、「国家とは国民が共同の利益のために約束して作ったもの」というルソーの社会契約論を固く信じるべきだ。そして、その約束の核心の一つが、共同体の非暴力性だ。
政治指導者たちは、一刻も早く憲法裁の結果を受け入れるというメッセージを出すべきではないだろうか。
今のままでは、弾劾賛否勢力間で流血の衝突が起きかねず、その責任は政治家に跳ね返ってくることになる。国家の対外的な信頼失墜と国際的な恥さらしはいうまでもない。
戒厳令を発令した張本人である尹錫悦大統領は、なぜいまだに一言も発していないのか。このまま沈黙を続けるならば、今後起こる不幸な出来事に対して責任を負うことになりかねない。
あわせて、ハン・ドクス大統領権限代行は、ソウル西部地裁での暴動のような不幸な出来事が二度と起きないよう、治安の確保に万全を期さねばならない。
公職選挙法の控訴審で無罪を言い渡され、大統領への道に羽を得た「共に民主党」の李在明代表もまた、憲法裁の決定を受け入れる意志を真摯かつ明確に表明すべきだ。それは中道層への支持拡大戦略にも有効だろう。
幸いなことに、これまで左派寄りと批判されてきた憲法裁が、ハン・ドクス代行をはじめとする「共に民主党」の相次ぐ弾劾申請をことごとく棄却したことで、一定の自律性を確保することになった。
つまり、保守陣営から「左派カルテル」と批判されていた憲法裁とムン・ヒョンベ裁判官らが今後どのような決定を下しても、色眼鏡で見られる可能性が低くなったという意味だ。
弾劾後の責任問題は、尹錫悦大統領とハン・ドクス代行、そして李在明代表の三者に集中せざるを得ない。弾劾賛否の最前線に立ってきた政治家たちや熱狂的支持者たちも、批判から逃れることはできない。意図せずして国を壊すような両極端の政治の先頭に立ってしまったからだ。
古代ギリシアの哲学者ソクラテスが「悪法も法なり」として毒杯を飲んだのは、個人の命よりも法の遵守を重んじたからである。政治家や過激な支持者たちが、検察や裁判所を自分の都合で評価してきたのは昨日今日に始まったことではないが、憲法裁の最終判決だけは涙を飲んででも受け入れねばならない。
それこそが真の愛国心ではないだろうか。
憲法裁判所による弾劾審判後に吹き荒れるであろう雷鳴と稲妻を予告するかのように、国内の書店では『怒り中毒』『偏向の終わり』『ファンダムの時代』『部族国家・大韓民国』『いかにして民主主義は崩壊するか』といった、暗く重いタイトルの本が目立っている。
我が国の政治家たちが本当に大韓民国の未来を心配するのであれば、アレクサンドロス大王の名言を思い出してほしい。
「私が死ぬときは手を外に出して、誰もが見られるようにせよ。天下を手にしたアレクサンドロスも、去るときは何も残らないことを示したい」
憲法裁の決定を前に命懸けで戦ってはいるが、後になってみれば、むなしいことだったと気づくはずだ。そして我が国の国民には、アレクサンドロスの師であり、今日の中道思想に近い「中庸」の哲学者アリストテレスの名言を紹介したい。
「万人が法の下に平等である国家だけが、安定した国家である」
●チェ・ジン大統領リーダーシップ研究院長
(記事提供=時事ジャーナル)
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