ダルビッシュや新井貴浩も!! “虎の守護神”オ・スンファン(呉昇桓 )のラストマウンド

2025年10月02日 スポーツ #プロ野球
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別名“石直球”と言われた寡黙な右腕が、最後の一球を投じた。呉昇桓(オ・スンファン)。韓国プロ野球の歴史にその名を刻み、阪神タイガースでもファンを熱狂させたクローザーの引退試合が、9月30日、大邱サムスン・ライオンズ・パークで行われた。

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KIAタイガースを迎えた一戦は、サムスンが5-0で快勝。ルーウィン・ディアスがKBO史上初となる「50本塁打・150打点」を達成するなど、節目にふさわしい夜となった。

そして最終回、場内が静まり返るなか、背番号21がゆっくりとマウンドに向かう。最後の相手は同世代のチェ・ヒョンウ。全てを背負うような視線を受けながら、渾身の直球を投じる。結果は三振。0.1回を無失点で終える、完璧な幕切れだった。

試合後、引退セレモニーが始まる。映し出されたのは、呉昇桓の野球人生を振り返るVlog映像。そして外野フェンスが開き、ライトを浴びながら登場する姿に、球場は大歓声に包まれた。

サムスンの仲間、球団幹部、そしてヤン・ヒョンジョンら後輩たちが記念品を贈呈。ダルビッシュ有、新井貴浩、福留孝介ら縁ある仲間からのビデオメッセージも続き、日米をまたいだ友情がスクリーンを彩った。

「野球は人生そのものだった」

スピーチの中で、呉昇桓はそう語った。家族への感謝を述べ、そして今年3月に亡くした母を思い涙を流す。「今日は特に母に会いたい。空から見守ってくれていると信じている」。その言葉に、場内にはすすり泣きが広がった。

(写真提供=OSEN)

最後に発表されたのは、背番号「21」の永久欠番化。三塁側ゲートには「21番ゲート」と刻まれ、彼の存在は球場とともに永遠に残る。家族から花束を受け取り、仲間たちに胴上げされ、夜空を彩る花火がその瞬間を照らした。

1982年7月15日生まれの43歳。大卒ルーキーとして2005年にサムスンへ入団すると、わずか3年目の2007年に当時最速で通算100セーブに到達。以降も記録は積み重なり、2009年に150セーブ、2011年には200セーブに到達。特に334試合で成し遂げた通算200セーブは、韓国プロ野球史上最年少かつ最速、さらに世界最速記録としても認められている。

阪神時代(写真提供=OSEN)

その後も韓国プロ野球史上初となる250、300、350、400セーブを次々と更新。2014~2015年には阪神タイガース、2016~2019年にはMLBへ挑戦し、異国の舞台でもセーブを積み重ねた。阪神では通算127試合に登板し、80セーブ、防御率2.25。メジャーリーグではセントルイス、トロント、コロラドなどで232試合に登板し、42セーブを記録している。

そして2019年に古巣サムスンへ復帰後も快投を続け、2023年6月には日米韓通算500セーブ、同年10月には韓国プロ野球史上初の通算400セーブを達成。プロ21年間で積み上げた数字は、日米韓通算550セーブという偉業だった。

呉昇桓の野球人生は、決して派手な言葉で語られるものではなかったが、その直球は常に真っすぐで、彼の歩みそのものを象徴していた。

「後悔はない」。そう言い切った表情には、静かな誇りと、すべてをやり切った男の清々しさがあった。

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