KARA は2007年にパク・ギュリ、ハン・スンヨン、キム・ソンヒ、チョン・ニコルの4人組ガールズグループとしてデビューした。
「音楽で喜びを伝えたい」というコンセプトで積極的に活動していたものの、当時は少女時代やT-ARAなどの人気アイドルが音楽番組でせめぎあう、まさにアイドル戦国時代。思うような結果が出せず、伸び悩み、しばらく低迷期に陥っていた。
さらに、2008年にはメインボーカルを務めていたソンヒが突然の脱退。このピンチに、所属事務所DSPメディアはKARAの新メンバーを探す公開オーディションを実施する。そして、合格倍率6000倍の狭き門をくぐり抜けたク・ハラと、当時中学生だったカン・ジヨンがKARAの新メンバーに選ばれたのだった。
生まれ変わった“新生KARA”として活動して1年、グループにようやく転機が訪れた。2009年にリリースした2ndフルアルバム『Revolution』のタイトル曲『Mr.』の「ヒップダンス」が大流行したのだ。
この人気を引っさげ、翌2010年には日本での活動もスタート。日本デビュー曲『ミスター』はオリコンランキングで初登場5位を獲得した。これは当時のアジアの女性グループとしては初の快挙と、KARAの勢いの凄さを見せつけた。
しかし、2014年1月にニコルが事務所との契約が終了し、グループを脱退する。そして同年4月にジヨンも契約満了をもって脱退。2人のメンバーの空席を埋めるため、DSPは再びオーディションを開催。練習生だったホ・ヨンジが新メンバーに選抜された。
4人体制となったKARAだったが、2016年にはギュリ、スンヨン、ハラも再契約しないことを正式に発表。これにより残されたKARAのメンバーは最後に加入したヨンジのみとなり、KARAの活動も行われなくなってしまった。
そして、2019年11月24日、ハラが自ら命を絶つという悲しいニュースが世間を騒然とさせた。匿名によるネットでの誹謗中傷が韓国で問題になっていた矢先のことだった。
グループ活動がなくなり、「事実上の解散」となってしまったKARAだったが、ギュリは2016年に行われたインタビューで「事務所がバラバラになっただけ。私たちは連絡を取りながら過ごしているし、良い機会があればアルバムを出して活動しようとも話している」とKARAとしての活動に前向きな姿勢を見せていた。また、スンヨンも「KARAはなくならない」とグループに対する特別な愛情を示していた。
それから5年後、KARAは「“完全体”で活動再開」というニュースを伝え見事に有言実行を果たし、多くのファンを喜ばせた。
今や世界を席巻するほどの人気のK-POP。そんな業界の成長を後押しした伝説のグループKARAのカムバックに今から期待したい。
(文=サーチコリアニュース編集部A)