日本と同じように、韓国でも女子アナウンサーが人気だが、韓国の女子アナ事情を知るべくインタビューした人物がいる。
韓国の元祖・女性スポーツアナとして一時代を築いたチョン・イニョンだ。
2014年に『アイ・ラブ・ベースボール』のMCに抜擢されると人気者になり、“野球女神”の愛称で親しまれるように。さらにサッカー番組を務めてサッカーファンを虜にするなど、まさに韓国を代表する女性スポーツアナなのだ。
スポーツアナという職業を生かして行なったプロ野球の始球式も行なうし、バラエティ番組のMC、ドラマ出演など活躍の場も広げている。年齢やマルチな活躍フィールド、さらにはその人気と知名度から“韓国のカトパン”と言っても遜色ない人物だった。
そんなチョン・イニョンとソウルでインタビューを行ったのは2017年4月。今から4年前のことだが、その内容は興味深く今にも参考になることが多いので、ここに再現しよう。
「私がアナウンサーになった理由は少し複雑なんです」
忙しいなかでも快く取材に応じてくれた彼女は、そもそもアナウンサーになったきっかけから語り始めた。
「私は幼い頃、両親と祖父と暮らしていました。高校生のときに、『挑戦!ゴールデンベル』というクイズ番組に出たんですよ。いろんな高校を訪れて、そこの高校生100人くらいがクイズに挑戦するテレビ番組です。
クイズに正解した人が勝ち残っていくのですが、私はなかなか脱落しないで、最後のほうまで残っていた。それを見た祖父が“イニョンはテレビに出る人になってほしい”とおっしゃって」
チョン・イニョンの祖父は、耳が不自由だったという。だからこそ祖父にはテレビに映る孫の姿がより眩しく見えたのかもしれない。
「とはいえ、そのときはスヌン(大学入試)も受けていたし、芸能人になろうなんて考えてもいませんでした。でも祖父の言葉が忘れられず、大学卒業後にアナウンサーになろうと思い、試験を受けたわけです」
韓国においてアナウンサーは非常に競争率の高い職業だという。韓国で最も高い支持を集める報道番組『ニュースルーム』のJTBCの場合、女子アナの倍率が2000倍になったこともあったという。
「初めて受けた地上波テレビのアナウンサー試験は、たしか応募者が2400人くらいいました。私はアナウンサーになるための特別な準備をしていなかったのですが、10人もいない最終試験まで残ったのです。だから“すぐにでもアナウンサーになれる!”って思いましたよ(笑)。
でも、そこからが長かった。5年ほど、最終試験で落とされる日々が続きました。もし最初に受けた試験で最終まで残っていなかったら、5年も受け続けられなかったと思う」
最終試験で落とされる日々が続いたある日、チョン・イニョンはスポーツアナウンサーの試験を受けてみようと考えた。彼女のアナウンサー人生のスタートとなる『KBS Nスポーツ』だ。一発合格だったという。
それからスポーツアナウンサー人生が始まるわけだが、彼女が韓国屈指の人気女性アナウンサーとなるきっかけはいくつかある。
例えば、“バケツ水事件”だ。2012年のとあるプロ野球公式戦で選手インタビューをしていたチョン・イニョンは、チームメイトがお祝いの意味を込めて放ったバケツ水を浴びてしまった。それでも、ずぶ濡れ姿でインタビューを続ける彼女に注目が集まったのだ。
数あるエピソードのなかでも、注目を集めたきっかけを本人は、こう話す。
「毎週の海外サッカー情報を提供する『ラリーガSHOW』という番組がありました。私が一番長く務めた番組で、3~4年ほどMCをして。
深夜の時間帯に放送される番組で、衣装もちょっと大胆でした(笑)。それがちょっとしたイシューになったのかもしれません」
本人も認める通り、美しさは彼女の武器だろう。人気男性誌『MAXIM KOREA』で表紙グラビアを飾ったときは、その号が完売したほどだ。
「私自身もそうですし、周りの人も不思議がっていました(笑)。アナウンサーなのに男性雑誌の表紙を飾ったというところに理由がある気もしますが…。雑誌の内容が良かったので、私が表紙だから売れたわけじゃないかもしれません(笑)」
そう本人は謙遜するが、モデル顔負けのスタイルをいかしたチョン・イニョンのミニスカート姿が男性ファンの心を掴んだことは明らかだろう。
同じくスポーツアナウンサーで、“次世代スポーツ女神”とされるホン・ジェギョンが同誌のグラビアを飾ったことがあるが、完売まではいかなかったのだから。
「私にとっても、とても意味のある撮影でした。私がちょうど30歳(韓国の数え年で)になったときに発売されたんです。だから私も今までやったことのないことにチャレンジしようと思って撮影に臨みました。
“悪く見られるかもしれない”という思いもあって悩みましたが、今となってはやって良かったと思いますよ」
複雑な思いもあったというチョン・イニョン。その後に彼女が教えてくれたのは、韓国女子アナたちのとある競争についてだった。(つづく)
(文=慎 武宏)
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