「検察改革」への意志を示す韓国・李在明大統領…“根本的な問いかけ”から始らなければならないワケ

2025年06月13日 社会
このエントリーをはてなブックマークに追加

李在明(イ・ジェミョン)大統領が就任し、検察による捜査・起訴の分離や、検事罷免制度の新設など、検察改革に対する強い意志を明らかにした。

【世論調査】就任から1週間…李在明大統領の支持率は?

検察改革に対する社会的な要求は以前から続いており、ついにその具体的な実現段階に入った形だ。

だが、検察改革を語る際に見落としてはならないことがある。それは、改革の方向性が特定機関の権限縮小や組織間の勢力再編にとどまってはならないという点だ。本当の意味での検察改革とは、「捜査権が国民のためにどのように行使されるべきか」という根本的な問いかけから始まらなければならない。

捜査権は本質的に二重の性格を持つ。犯罪被害者の権利を救済する“盾”であると同時に、捜査対象者の日常を根底から揺るがす“刃”でもある。

家宅捜索によって穏やかな生活は壊され、拘束によって自由が奪われ、起訴されるかどうかによってその人の未来が決まる。まさにこの点にこそ、検察改革の真の意味を見出すべきだ。

組織の論理ではなく国民の視点から、権力の分配ではなく権利の保障を中心に改革は設計されなければならない。

李在明大統領
(写真=時事ジャーナル)李在明大統領

検察・警察・公捜処の深刻な混乱

では、これまで捜査権はどう機能してきたのか。

起訴の独占と令状請求権の独占。この二つの軸が検察を捜査権の頂点に立たせた。起訴するかどうか、令状を請求するかどうかを検事だけが決めることができたため、警察を指揮し、捜査を主導できたのだ。

2021年の検警捜査権調整は、こうした構造を変えようとする試みだった。「捜査は警察、起訴は検察」という役割分担によって、相互の抑制と均衡を図ろうとした。

しかし現実は異なった。重大犯罪については検察の直接捜査権が依然として残り、政令を通じてその範囲がむしろ拡大された。警察が捜査を終えた後に事件を送致するか否かを決定できるようにはなったが、起訴の可否や令状請求は結局検察の権限のままだった。

さらに「高位公職者犯罪捜査処(公捜処)」の登場により、捜査構造はさらに複雑化した。

公捜処は検察権力の牽制を目的に設立されたが、実際には既存の検察の捜査・起訴・公判維持の権限を、特定の対象と犯罪に限定してそのまま移植した構造だ。高位公職者の犯罪を捜査する際には、検察官と同等の地位で令状請求権を持っており、結局は規模が小さいだけで“もう一つの検察”が誕生したのと変わらないという批判が出るのも当然だろう。

こうした権限の分散が、本当に「捜査・起訴の分離」という改革哲学に合致するのか。

捜査対象や罪名によって管轄が変わることで、新たな問題が次々と発生した。管轄があいまいだったり、捜査能力が足りなかったりする場合には、関係機関同士で“ピンポンゲーム”のような責任の押し付け合いが起き、捜査は遅延。また逆に、各機関が自分の論理で管轄権を主張し、同じ事件を重複して捜査する事例も多発した。

この過程で、捜査対象となった国民は、いつ終わるとも分からない不安の中で苦しみ、被害者にとっても、遅れる捜査によって正義実現への希望が打ち砕かれる“二重苦”となる。尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領の内乱罪捜査をめぐり、警察・公捜処・検察が見せた混乱は、このような構造的問題を如実に表していた。

この混乱の根本には、憲法第12条と第16条に規定された「検事の請求によって」という9文字がある。この条項は、1961年の5・16軍事クーデター後、国家再建最高会議によって国会の同意もなく刑事訴訟法が改正された際に初めて導入され、第3共和国の憲法に登場して現在に至っている。

世界的にも類例のないこの条文のせいで、警察など他の捜査機関は検事の令状請求がなければ裁判官の判断すら受けられない状況となっている。

しかし、本来の「令状主義」の趣旨は、捜査機関が強制処分を行う際、「中立的な裁判官が具体的な判断を経て発行した令状」に基づかなければならないというものであって、請求主体が検事に限られるべきだという意味ではない。

検事の独占的な令状請求権は、「令状主義を徹底するための二重の保護装置」として導入されたものだが、実際の運用では警察捜査に対する過度な介入や、捜査指揮権を強化する手段として使われることが少なくなかった。

公捜処での「捜査・起訴分離」の試みは非現実的

では、どうすればよいのか。

筆者がかつて在籍していた公捜処では、設立初期に「捜査・起訴の分離」という改革理念を、少なくとも組織内で実現しようと試みていた。捜査部が捜査を終えた後、事件を別の公訴部に移し、公訴部が独立して起訴の可否を判断するという構造を試したのだ。

しかし、理想と現実の間には深い溝があった。複雑な事件では捜査記録が数十冊にも及び、公訴部の検事が全体を把握し、捜査チームの結論を評価するには相当な時間がかかる。さらに根本的な問題は、被疑者や関係者を直接調べ、証拠を収集したのは捜査部であり、事件の本質や争点を最も正確に把握しているのも捜査部の検事であるという点だ。

結果として、公訴部は捜査部の判断に依存せざるを得ず、組織内で「レッドチーム」のような牽制装置を設けようとしても、結局は組織の論理を正当化する方向に流れがちだった。外部委員による公訴審議委員会を設けても、膨大な捜査記録を直接検討しない外部の人物が、令状請求や起訴の適否を実質的に評価できるのかは疑問だ。

仮に将来的に、警察・検察・公捜処に加えて「重大犯罪捜査庁」まで設立されればどうなるか。さらに根本的な問題が待っている。各捜査機関の令状請求は誰が担当するのか。すべての捜査機関を包括する「起訴庁(公訴庁)」を作って一括管理するのか、それとも機関ごとに別々の検事を配置するのか。

捜査機関が令状を請求し、それが検事に却下された場合、どこに異議を申し立てればよいのか。証拠の隠滅や隠蔽が起こったとき、誰が責任を取るのか。複数の機関による管轄争いや事件の移送過程で発生する被害を、国民はどこに訴えればよいのか。

何よりも重要なのは、憲法改正の問題だ。「検事の請求によって」という9文字を削除する憲法改正を直ちに進めるのか、それとも改憲なしに現行憲法の下でどのような権限配分が可能なのか、その明確なロードマップが必要だ。このような根本的な設計なしでは、いかなる捜査改革も「砂上の楼閣」に終わるだろう。

では、これらすべての複雑な課題を、どのような原則で解決していくべきか。その答えは意外と単純だ。検察改革の中心に据えるべきなのは、組織間の権力バランスではなく、国民の権利保護だ。

捜査は厳正かつ公正に、一糸乱れぬよう進められるべきだが、国民に接する姿勢は常に謙虚であるべきだ。検察を含む捜査改革が真の成果を挙げるためには、権限の分配以前に、より根本的な問いに答えなければならない。

捜査の過程で国民の基本権をいかにして守るのか。捜査の責任性をどう担保するのか。手続きの適法性と透明性をいかに実現するのか。

こうした緻密な設計がなされてこそ、検察改革は警察・公捜処を含む権力機関同士の綱引きを超え、国民のための真の改革へと生まれ変わるだろう。

●キム・スクチョン弁護士

(記事提供=時事ジャーナル)

大統領の罷免で「本来の姿に戻った」と自賛する韓国、本当にそうだろうか

政権交代でピンチの尹錫悦前大統領、夫婦そろって…そもそも2人の容疑とは?

予想されていた大統領選での保守の“惨敗”…「李在明の助っ人」のようだった保守

前へ

1 / 1

次へ

RELATION関連記事

デイリーランキングRANKING

世論調査Public Opinion

注目リサーチFeatured Research