例えば9月13日の読売ジャイアンツ戦で55本塁打を記録した際には、「ワン・ジョンチとタイ記録を作成した村上」(『スポーツ京郷』)、「村上、ワン・ジョンチと同じ55号」(『聯合ニュース』)などの見出しが並んでいた。この「ワン・ジョンチ」というのは、1964年に55本塁打を達成していた王貞治氏の名を韓国語読みしたものだ。
活躍には賞賛を送る一方で、56本目前で足踏みが続くと、「55本塁打に縛られた村上」(『朝鮮日報』)、「36打席連続無本塁打… 8試合のまま55本塁打で止まった“22歳巨砲”村上、残りの7試合時間がない」(『スポーツ朝鮮』)、「13試合57打席目の沈黙、日怪物打者55本塁打の壁を超えられないのか…残り2試合が残った」(『OSEN』)といった厳しい見出しも並んだ。
そして、念願の56本達成時には「いよいよ56号爆発!村上、日本人選手新+10億ウォン(約1億円)家+トリプルクラウン達成」(『マイデイリー』)、「最終戦で劇的な56号本塁打、ワン・ジョンチを越えて大記録“22歳巨砲”村上、最年少打撃3冠王まで」(『スポーツ朝鮮』)などと、まるで自国の選手のように盛り上がっていた。
このように、1年を通して、調子が良い時も悪い時も村上の動向を追ってきた韓国だが、シーズンが終わった今となってはその存在に戦々恐々とし始めている。