彼は家庭内暴力が生み出した残忍な殺人鬼だった。
1969年、韓国の全羅北道・高敞(コチャン)郡で生まれたキム・ヘソンは、幼い頃から父親による常習的な虐待を受けていた。父親は頻繁に息子の服を脱がせ、ベルトで全身を無差別に殴った。
そのため体には絶えずあざや傷があり、そんな状態で家を追い出されることもあった。友人からからかわれることが増えたため、半袖や短パンを着ることを避けるようになり、肌を露出することに強いトラウマを抱えるようになった。
キム・ヘソンはストレスを感じるたびに、犬や猫などの動物を殴るなどして虐待し、その行為によって気を紛らわせた。中学生の頃には、近所の牛を鎌で刺し殺すなど、残忍な性質を露わにした。
中学2年生の時に学校を中退し、故郷を離れて各地を転々としながら、飲食店の従業員などとして働いた。成人すると、彼はさらに凶暴な性格へと変貌していった。
1993年、20代だったキム・ヘソンは、片想いしていた女性を襲おうと包丁を持って侵入したが、未遂に終わった。1995年には文通を通じて知り合った女性を自分の下宿先に誘い込み、暴行を加えた容疑で裁判を受けたが、いずれも執行猶予付きで釈放された。
キム・ヘソンは釜山で約5年間、外航船に乗った後、飲食店の従業員として働いた。その間、交際していた喫茶店の店員に詐欺を働かれ、外航船員として稼いだ金をすべて失い、極度の怒りと裏切りを感じるようになった。
2000年7月、故郷に戻った彼は何もすることなく、酒に溺れる日々を送るようになった。
2000年10月25日の午前、キム・ヘソンはポップンジャ(酒)を3本飲み干した。酔いが回ると息苦しさを感じ、家を出て近くの山を歩き回り、墓地で一時昼寝をすることもあった。
18時頃、家から約2km離れた高敞郡・ヘリ面の村を通りかかった際、小学5年生の女児チョンさん(12歳)を見つけた。
チョンさんはその日、学校の授業が終わって友達と遊び、一人の友人と一緒に歩いていた。近くの中学校の前で公衆電話を使い、家に電話をかけた。中学生の兄は「お母さんに迎えに行くように言うよ」と言って電話を切った。
チョンさんは文房具店で犬のぬいぐるみを買い、その友人と別れた後、一人で帰宅を急いだ。そして、しばらく歩いたところでキム・ヘソンと遭遇した。
キム・ヘソンはチョンさんを近くの山に連れ込み、墓地の前で口を塞ぎ、首を絞めた。チョンさんが気絶すると、彼女の服を脱がせ、リュックサックの中を探り、筆箱に入っていたカッターナイフを見つけた。そのナイフでチョンさんの服を切り裂き、その布で彼女を縛った。
さらに暴行を加えようとしたが思い通りにならず、猟奇的な行為に走り、彼女が息を引き取ると、遺体や持ち物をまるで展示するかのように配置した。
まず、裸の遺体を墓の上に仰向けに寝かせた。両腕は十字架の形に広げ、両足は墓の下側に下ろした。刃物で切り裂いた衣類の破片は、運動靴とともにリュックサックに入れ、遺体の足元に置いた。最後に、犯行に使用したカッターナイフを筆箱に戻し、リュックサックの隣に置いた。
その後、キム・ヘソンは何事もなかったかのように山を下り、大人向けのゲームセンターで遊び、家に戻ってテレビを見て過ごした。
夜になっても娘が帰宅しないことを心配したチョンさんの母親は、自家用車で学校があるヘリ面の中心地へ向かった。あちこちを探し回るなか、文房具店で「チョンさんがぬいぐるみを買って帰った」との話を聞いた。母親は不安に駆られ、約1時間にわたり周辺をくまなく探したが、娘の手がかりを見つけることができなかった。
娘の身に異変が起きたと判断し、午後19時頃、ヘリ派出所に駆け込み、失踪届を提出した。
警察は村の住民とともに懐中電灯を持ち、チョンさんの名前を呼びながら捜索を行ったが、発見には至らなかった。翌10月26日の朝から再び捜索を開始し、午前9時30分頃、山中でチョンさんの遺体を発見した。
道路から約150m離れた場所で、彼女の住む村まではまだかなり奥に入った地点だった。普段、人通りのほとんどない場所だった。
遺体の他の部分は比較的きれいだったが、性器周辺には激しい出血の跡があった。キム・ヘソンが暴行を加える過程で傷を負わせたものだった。
警察は捜査本部を設置し、本格的な捜査を開始した。現場の精密鑑識が行われ、犯人のものと思われる靴跡や髪の毛、体毛が採取された。決定的な証拠となる足跡は石膏を使って型を取った。チョンさんの正確な死因を確認するため、国立科学捜査研究院に遺体の解剖を依頼した。死因は頸部圧迫による窒息死と判明した。体毛の分析により、犯人の血液型はAB型である可能性が高いと判断された。
警察は、遺体が十字架の形に配置されていたことから、新興宗教団体の儀式や狂信者の犯行である可能性に重点を置き、捜査を進めた。近隣の宗教団体を調査したが、犯人の手がかりはなかなか掴めなかった。周辺の村の住民全員を容疑者リストに挙げ、捜査範囲を広げたが、容疑者として疑わしい人物は見つからなかった。
最初の犯行の後、キム・ヘソンは警察の捜査網を避けるため、外出を控え、家に引きこもっていた。酒を飲んだり、テレビを見たりして時間を過ごしていた。約2カ月が経過しても警察が自分を疑う様子がなかったため、緊張を解き、再び行動を始めるようになった。
12月19日、昼頃から酒を飲み始めたキム・ヘソンは、包丁、ロープ、手袋が入ったバッグを持って家を出た。
今回も下校する生徒を標的にした。酔いが回った彼は山で眠ってしまい、午後16時を過ぎて目を覚ました。ちょうどムジャン面の中心部にある学校の生徒たちが下校する時間だった。
キム・ヘソンは自宅から約2km離れた国道沿いに身を潜め、犯行の対象を物色した。
16時30分頃、一人で帰宅する女子高校生のカンさん(17歳)を見つけた。キム・ヘソンはカンさんの後を追い、隙をうかがっていたが、カンさんが異変を察知して走り出すと、彼もすぐに追いかけた。しかし、ちょうどオートバイが近づいてきたため、キム・ヘソンは追跡を諦め、カンさんは間一髪で難を逃れた。
その後、キム・ヘソンは再び周辺をうろつき、17時30分頃、帰宅途中の中高生の姉弟を発見した。高校1年生の姉パクさん(17歳)と中学1年生の弟(14歳)だった。キム・ヘソンは姉弟のそばに近づき、突然、道路脇の田んぼに押し倒した。
弟は姉を守ろうと大声を上げ、キム・ヘソンと格闘したが、成人男性には敵わなかった。キム・ヘソンは弟を押さえつけた後、その場で首を絞めて殺害した。助けを求めて必死に懇願する姉パクさんにナイフを突きつけ、性的暴行を加えた後、残忍な方法で殺害した。
亡くなった姉のパクさんは、6年前に父親を亡くした後、勤労事業の仕事で家を空けがちだった母親に代わって家事をこなし、弟や妹たちの世話をしていた孝行娘だった。
姉弟が帰宅しないことを心配した家族は、村の住民とともに2人の名前を呼びながら捜索したが、手がかりを見つけることができなかった。夜が明けると、学校から自宅へ向かう道沿いを徹底的に探し、21時20分頃、道路の下の丘のふもとで弟パクさんの遺体を発見した。姉弟の家から直線距離で約300m離れた場所だった。
運動着姿の遺体はうつ伏せで倒れており、両手両足は履いていた運動靴の靴紐で縛られていた。首にはロープが巻きつけられ、しっかりと結ばれていた。遺体の近くにはナイフで切られた下着が落ちており、それは姉のものだった。また、周囲には姉弟と犯人のものとみられる足跡が入り乱れており、犯行当時の緊迫した状況を物語っていた。
警察は姉パクさんの遺体を見つけるため、足跡を追跡した。幸いなことに、前日に霧雨が降ったため、足跡は比較的はっきりと残っていた。やがて、山へと続く2人分の足跡を発見し、それを辿ると、姉パクさんの遺体が見つかった。弟が倒れていた場所から約500m離れた山中の墓地だった。
遺体の状態は凄惨だった。全身が血にまみれ、刃物で刺された傷や切り裂かれた痕が目立っていた。異様な点として、右太ももの一部が大人の手のひらほどの大きさに切り取られ、失われていた。
また、第一の事件で犠牲となったチョンさんと同様、遺体は不自然な形で放置されていた。制服のボタンはすべて外され、スカートはめくられて胸元まで引き上げられ、顔を覆うような状態になっていた。両手と両足はロープとストッキングで縛られていた。
警察は現場で犯人のものと思われる複数の足跡を発見した。その足跡は、チョンさんの遺体が発見された現場で採取されたものと類似しており、同一人物によるものと判断された。
また、間一髪で難を逃れたカンさんら目撃者の証言を基に、犯人のモンタージュも作成された。
警察は、型取りした足跡とモンタージュを持ち、周辺の村を徹底的に調査した。各家庭を訪問して聞き込みを行った結果、キム・ヘソンが事件前日、死亡した姉弟の後をつけていたのを見たという目撃証言を得た。さらにキム・ヘソンの家の庭には、犯行現場で見つかった足跡と一致するものが残されていた。
当時、家にはキム・ヘソンの高齢の両親しかおらず、警察は家の中を捜索し、靴箱から犯行に使用された血のついた釣り用のナイフとロープを発見した。さらに家の前の水路からは、パクさんの太ももから切り取られた肉の一部が入ったビニール袋が見つかった。
16時を過ぎた頃、キム・ヘソンが帰宅すると、警察は彼を緊急逮捕した。モンタージュの顔とキムの顔は非常によく似ていた。さらに、犯行現場で採取された容疑者の血液型と、キム・ヘソンの血液型が一致した。
警察署へ連行されたキム・ヘソンは、「自白する代わりに、報道しないことと焼酎を買ってくること」を要求した。警察が焼酎を与えると、彼は一気に飲み干し、次々と犯行を自供した。そして、「パクさんの太ももから切り取った肉の一部を犬に与え、残りは自分が食べた」と供述し、警察官を戦慄させた。
キム・ヘソンは犯行の動機について、「職もなく、結婚もできず、生活に絶望していた。酒を飲んで近くの山をさまよっているうちに、女子学生を見つけて犯行に及んだ」と述べた。
キム・ヘソンは殺人および強姦などの罪で起訴され、裁判の結果、死刑が確定した。
しかし彼は反省するどころか、自らの名前や写真が本に掲載されたとして、ある放送関係者を相手取り、出版物による名誉毀損で訴訟を起こすという行動に出た。キム・ヘソンは現在に至るまで一切の罪悪感を抱かず、被害者やその家族に対して謝罪の言葉を述べたこともない。
現在、光州刑務所で24年目の服役を続けている。
(記事提供=時事ジャーナル)
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