当時、日本では『冬のソナタ』人気で韓流旋風が巻き起こっていたが、そのブームに便乗することもなかった。
日韓を行き来するのではなく、あくまでも生活拠点を日本に置き、メンバーは日本語を熱心に勉強して、日本の文化を学んだ。
楽曲や衣装も韓国から持ち込まなかった。日本の音楽プロデューサーのもと、新たに日本でボイストレーニングを積み、パフォーマンスにも磨きをかけた。
SMの提携先だったエイベックスの方針や戦略もあっただろうが、まさに日本でイチから始めたのだ。
韓国のとある東方神起ファンのブログには、当時のことがこう書かれている。
「韓国で“最高”だった東方神起だが、日本では誰も彼らを知らなかった。東方神起は無名の新人として底辺から始めねばならず、無料公演にストリートライブもやった。
ショッピングモールの階段で歌ったこともあった。“ローマに行けばローマの法に従え”という諺があるが、彼らにとってはまさに過酷な日々だった」
東京、大阪、名古屋、福岡、札幌での名刺交換会。握手会にアカペラ体験会。舞台や音響設備が整っていない大学の学園祭でのトークショー&ライブイベント。CDを持ってテレビ局やラジオ局を訪ねる日々…。
メンバーたちも、この日本進出初期が「最も苦しくしんどかった」と振り返っているのは有名な話だ。
今では想像もできないプロモーション活動を、地道に根気強く続けたのだ。
その努力もあって徐々に知名度が広まり、テレビ出演なども増加。
2007年には日本武道館ライブ、2008年にはシングル『Purple Line』が初のオリコンチャート1位を獲得し、ついに紅白歌合戦にも出場。2009年7月にはトップアーティストの証ともいえる、東京ドーム公演を2日連続で開催するほどの人気者になった。
ちなみに東京デビュー年だった2005年のオリコン年間ランキングでは525位だったが、4年後の2009年には同ランク年間3位となったほど。頂点は目前だった。
ところが、その頂点を目前にして衝撃的な出来事が起こった。
2009年7月、ジェジュン、ユチョン、ジュンスの3人がSMエンターテインメントに対して、専属契約の効力停止を要求する手続きをソウル中央地方法院に提出。長きに渡って続くことになる分裂騒動の口火が切られることになったのだった。
3人が主張したのは、いわゆる「奴隷契約」問題だ。
①2004年デビュー以来、一年に1週間しか休みがなく、一日3~4時間程度の睡眠時間しかない過酷なスケジュールで精神人的にも肉体的にも健康が悪化した。
②専属契約期間がおよそ13年という超長期。今後の兵役期間も含めた場合、15年以上になるが、まだ10年も消化していない。つまり事実上、芸能界を引退するまでの終身契約だ。
③しかも専属契約を解除する場合、巨額の違約金を払わなければならないようになっているため、事実上不可能となっている。
④ 契約金はなく、アルバム収益の分配金も50万枚以上販売された場合のみで、メンバー1人当たり1000万ウォン(約100万円)だけ。50万枚以下の場合は一銭も収益が配分されなかった。メンバーがアルバム販売として分配される収益金は1人当たり0.4~1%に過ぎない。
そんな内容だった。
これが最初に明るみになったとき、超長期的かつ不公正な“奴隷契約”だという声も上がったが、それをそのまま鵜呑みにもできない側面もあった。SMエンターテインメントは報道資料として、次のように明らかにしているのだ。
①健康問題及びスケジュールに関しては十分に協議して進めてきた事項だった。
②韓国の公正取引委員会の標準約款では歌手との専属契約は7年と規定しておらず、海外活動する歌手の場合、契約期間に制限を設けるケースは少ない。
③さらにメンバー5人とは専属契約締結後に5回にわたって相互合意のもとに契約を更新、修正しており、そのうち2回は損害賠償について、公正取引委員会の検討や確認を受けて修正した。収益配分に関しても、2004年1月、2007年2月、2009年2月に行われている。
④東方神起のデビュー後4年間、営業赤字記録したが、SMエンターテインメントは東方神起に対して、デビューから2009年7月までに現金だけで110億ウォン(分配金92億ウォン+支給金17億7000万ウォン)を支払っており、高級車(契約と関係ないボーナス)なども提供してきた。また、事業環境の変化によって楽曲印税、広告出演、イベント、肖像権ビジネスなど、さまざまな分配率があるにもかかわらず、一部分だけ(不正確に)浮き彫りにしている。
このように互いの主張は真っ向から対立し、結局、東方神起は分裂。
ユンホとチャンミンは3人に復帰を呼びかけたが、3人はそれに応じず、2010年10月には「JYJ」というグループ名で活動を始め、その1カ月後、東方神起はユンホとチャンミンのデュオとして再スタートを切ったのだった。
それにしてもユンホとチャンミンは、なぜ3人に同調しなかったのだろうか