東方神起は、SMエンターテインメントが野心的かつ計画的に進めてきたプロジェクトだった。
H.O.TやSHINHWAの成功で弾みをつけたSMは、独自のアーティストの発掘および育成システムを強化。韓国はもちろん、世界各国でオーディションを開催して歌やダンスの才能に優れた若者たちを発掘・スカウトし、金を惜しまずレッスンを積ませ、その才能の原石を磨かせた。
2003年には「スターライト・アカデミー・システム」という芸能スクールも立ち上げている。
そうした発掘・育成システムのもとで頭角を現した練習生の中から、さまざまな組み合わせが検討されて結成されたのが、ジュンス、ユンホ、チャンミン、ジェジュン、ユチョンら5人による東方神起だった。
ちなみに東方神起というネーミングが決まる前までは、いくつかの候補があったことは有名な話だ。
企画段階からアジア進出を念頭においていたこともあってSM社内で最初に候補に上がったのは、“チョンモッコ”(「伝説を食べて生きる鯨」という意味の韓国語の略語)、“オジャンユップ”(五臓六腑)、“東方不敗”だったという。
だが、“チョンモッコ”は他国の人には発音が難しいという理由で除外され、“オジャンユップ”は「すべての臓器が重要なだけに何ひとつ欠くものがないグループになろう」という意味そのものが幼稚だということで却下となった。
結果、“東方不敗”が残り、イ・スマン会長が同名の中国映画を作った監督を訪ね使用許可を得たが、“不敗”という漢字表記が良くないという意見もあり、最終的に決まったのが、東方神起だった。
もしも“東方不敗”だったらアイドルならぬ武侠集団と勘違いされていたかもしれないし、“オジャンユップ”ならメンバーが脱退した時点で改名を迫られていたかもしれない。
そう思うと、東方神起というネーミングでつくづく良かったと、SM関係者の誰もが感じているかもしれない。
韓国や日本はもちろん、世界レベルで最も成功したK-POPアーティストとされる東方神起。韓国では「SMエンターテインメントが作り上げた最高傑作」と呼ぶも者も少なく、特に日本で収めた成功は高く評価されている。
現在、日本には数え切れないほどのK-POPアーティストやアイドルグループが進出しているが、その道を切り開いたのは東方神起であることは誰もが認めるところだろう。
ではなぜ、東方神起は日本で成功できたのか。
韓国で最も強調されているのは、“徹底した現地化”。すなわち日本市場を意識した戦略だったとされてる。
というのも、2004年11月に初来日した東方神起は、韓国トップアイドルという肩書きに一切頼らず、韓国での成功もアピールすることなく、“新人歌手”の気構えで日本にやってきた。