「尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領と、共に民主党の李在明(イ・ジェミョン)代表によって主導された政治を今回の機会に清算し、新しい時代へ進むのが正しい。これは特定の個人に対する好き嫌いの問題ではない」
大統領候補の一人として注目されているイ・ナギョン元国務総理は、尹大統領と李代表による政治の「同時清算」を主張している。
彼がそう考える理由は何だろうか。
2024年の総選挙の過程で「共に民主党」を離党したイ元総理は現在、「新未来民主党」の常任顧問を務めている。2月27日、ソウル・鍾路(チョンノ)区にある事務所でイ元総理に直接会った。
―12月3日に起きた44年ぶりの非常戒厳事態についてどう見ているか。
唖然とした。2024年5月に2度も戒厳の話を聞いたが、信じていなかった。しかし、不安は残った。そこで、2024年7月6日の党大会で、極限の対立に向かっていた当時の政治状況を批判し、このまま進めば、秋か冬には革命的な事態が起きるかもしれないと警告していた。それは戒厳を意味していた。
それでも実際に起きるとは思わず、信じられなかった。茫然とした後、気を取り直して「戒厳は誤りだ。早急に解除せよ」という立場をSNSで表明した。
―尹大統領が弾劾審判の最終弁論で68分間にわたり最終陳述を行ったが、どう聞いたか。
(尹大統領の)国民に感動を与える力はほとんど枯渇している。国民が感動を受ける余地は残っていない。そのようなアプローチでは、国民に感動を与えることはできないと感じた。
―弾劾審判の結果はどうなると思うか。
本来、司法機関の判断を予測しない長年の文化があるが、それでも常識的な観点からいえば、弾劾が認められると思う。問題はその後だ。
憲法裁判所の決定後、そして大統領選後の2度、大きな峠が訪れる。2度とも、ほぼ内戦のような混乱状態になるのではないかと心配している。そのような混乱を最小化するべきだったが、憲法裁判所が過程をずさんに管理し、問題を大きくしてしまった。その点が非常に懸念される。
―文在寅(ムン・ジェイン)政権の検察総長だったが、文政権を批判して当選した尹大統領が弾劾の危機はもちろん、内乱罪の裁判にも直面している。
外見上は残酷な反転の連続だ。文政権は検察改革のために尹錫悦検事を検察総長に任命した。しかし、その検察総長が反旗を翻し、文政権反対勢力の公認を受けて大統領になった。
その大統領は、文政権が設立した高位公職者犯罪捜査処によって、しかも自らが任命した公捜処長に逮捕された。
内容的に見るとこれは「87年体制の葬送曲」だ。憲法機関同士の権力闘争が国家の崩壊を引き起こし、87年体制の終焉を知らせる葬送曲のように感じられる。87年体制は、これによって死んだ体制になったと思う。
―尹政権の支持率低迷と危機の最大の原因は何か。
大統領自身だ。何の準備もなく、検事としての経験しかない非常に偏った経験の持ち主だった。また、個人としての徳性や節制といった人間的な資質が著しく不足していた大統領だった。愚かで混迷した大統領が生んだ悲劇だと思う。
同じ憲法の下でDJ(金大中(キム・デジュン)元大統領)のように賢明で、業績を残した大統領もいるのに、ある者はなぜ国家崩壊に至るのか。指導者の徳性が憲法と同じくらい重要だということを痛感させられた事件だ。
―尹錫悦・李在明の同時清算を主張している。なぜ今このタイミングで、李代表も精算されるべきであると考えているのか。
尹大統領は民主化以降、最悪の大統領として記録され、3月には退場するだろう。
李代表は、司法リスクが個人のリスクを超え、国家のリスクに発展すると考えられる。多くの疑惑を抱え、多くの裁判が終わらないまま、何も解決しない状態で大統領になれば、その瞬間から正統性の問題に直面し、今のように国民が分裂した状況では、ほぼ内戦のような混乱が続くだろう。
内外の危機が重なり続ける大韓民国の未来のためには、この2人が主導した政治を今回の機会に清算し、新しい時代へ進むのが正しいと思う。これは特定の個人に対する好き嫌いの問題ではない。
―李代表側は、自身の司法リスクについて「政治検察による司法工作」だと主張している。
もはや検察のせいにばかりすることはできなくなった。すでに起訴され、裁判が進行している案件が大半ではないか。それに、自身の指示を受けた者や、長年の同志関係にあった者たちは、すでに裁判所で重刑を言い渡されているではないか。
自身が現在も裁判を受けている大庄洞(テジャンドン)事件に関しては、21人が拘束された。それはすべて裁判所の決定によるものではないのか。検察のせいにするのは事実を歪曲する行為だ。
さらに、李代表が受けている12の容疑のうち、4つの容疑は法定最高刑が無期懲役だ。これを軽く考えるのであれば、申し訳ないが、政治をする資格はない。
―1審で被選挙権剥奪に相当する有罪判決が出た李代表の公職選挙法違反、2審の見通しは?
憲法裁判所の判断と同様に、司法機関の決定を外部で予測するのは禁忌とされているが、常識的に見れば有罪になると思う。有罪が出ても、(李代表は)すでに出馬する決意を固めたように見えるが、鍵は世論の動向だろう。
しかし、李代表や「共に民主党」の発言を聞くと、奇跡の論理を展開している点がいくつかある。
―どういった点が「奇跡の論理」なのか。
まず、李代表がこの選挙法の裁判について「2審の結果を楽観視している」としつつ、「(最高裁)判決は5月までには出ない」と言ったことだ。2審の結果を楽観視しているなら、最高裁の判決も早く出たほうが有利なはずだ。前後が合わない。
次に、「共に民主党」の発言では、「選挙法上の虚偽事実の流布は当選を目的として虚偽事実を流布した人を処罰するものだが、李代表はその選挙で落選したので問題ない」と言いながら、「進行中の裁判については、当選すれば裁判が中断されるので問題ない」としている。
これは奇跡の論理ではないか。なぜそのように政治をするのか。
―様々な司法リスクがあっても、李代表が確固たる支持層を持っている点でリーダーシップを証明しているという「共に民主党」内の見方がある。
それが問題をさらに大きくしている。支持層よりもはるかに大きな“拒否層”、つまり高い嫌悪感があることを直視すべきだ。
そのような見方は、たとえ(李代表が)政権を握っても非常に不安定になることを予告しているようなものだ。それが明らかに見えているのに、その道を進むというのは、李代表自身にとっても決して幸せではない。
国家にとっても巨大なリスクではないか。それでもその方向に進むというのは、火に飛び込む蛾と何が違うのか。
―いわゆる「ケタル(李代表の熱狂的支持層)」に対して、多くの批判をしてきた。彼らが党内民主主義、さらには韓国政治に悪影響を与えていると見ているのか。
深刻な分裂の源泉になっている。今の「共に民主党」の人たちは、尹大統領が自分を批判する勢力を「反国家勢力」としていることを批判している。しかし、彼ら自身は、批判勢力を「スイカ」(見た目は「共に民主党」だが、中身は「国民の力」のような政治家という意味)と呼んでいる。
何が違うのか。自分を批判する意見を持つ人々を敵視する文化の中では、大韓民国は不幸から抜け出せない。
最近、李代表がフェイスブックに「静かな森は燃え尽きた森だけで、静かな川はダムに閉じ込められて腐りゆく川だけだということを覚えておこう」と書いたが、今の「共に民主党」がどうなのか、一度振り返ってみてほしい。
―非常戒厳事態以降、「共に民主党」が弾劾政局を主導できていないという批判があり、支持率でも「国民の力」に遅れを取っている原因は何か。
弾劾訴追後に大統領権限代行をさらに弾劾するなど、非常に刺激的な手法を使った。これらを見て、恐怖感を覚えたことが短期的な理由だ。
長期的には、やはり司法リスクだ。前回の大統領選挙では、「犯罪容疑者よりも検事のほうがマシだろう」ということでなんとか選ばれたが、「検事が倒れたからといって、さらに容疑が増えた犯罪容疑者をまた選ぶのか?」という戸惑いを国民が直感しているのではないか。
―李代表が最近、「共に民主党は元来、中道保守政党」と宣言した。
中道か保守か進歩かということよりも、もっと深刻なのは「ブレ」だ。その場、その場で都合の良いことをいうと信頼が崩れる。
政策を出す際は、即興ではなく、全体を考えた体系的な整合性が必要だ。あちこちで税金を減らすといったり、どこかでは財政を拡大するといったり、即興的に話をすると矛盾の塊になってしまう。
―最近、李代表が党内の「非・李在明派」と会い、統合の動きを見せたが、どう見ているか。
必要だったのだろう。だが、単に人と人が会うだけで、すべてが解決するのが政治と信じるのは誤った考えだ。それだけではごまかせない部分がある。
例えば、前回の総選挙公認過程で、パク・ヨンジン元議員に対して、予備選のルールを変更し、地域ではなく全国の権利党員に投票権を与えた。違法性の問題もあると思うが、その誤りを一度の食事で「すべて大丈夫だ」というのなら、政治の発展に何の役にも立たない。政治はそうあるべきではない。
―最近、李代表から間接的にでも連絡があったり、会おうとされたりした事実はあるか。
まったくなかった。私についてあれこれいう人たちは、自分の営業をしているだけだと思っている。繰り返しいうが、個人と個人の出会いで解決できることもあれば、できないこともある。
―大統領候補として名前が挙がっている。早期大統領選が行われた場合、出馬する計画はあるか。
検討中だ。私に多くの力があるわけではないが、この力を国家に貢献するために有意義に使いたいという考えは確固たるものだ。ただ、その方法が何かについてはもう少し考える必要がある。
―「共に民主党」との連携の可能性が注目されているが。
「共に民主党」が良い候補を立てるなら、当然協力の余地があると考えている。私が「尹錫悦-李在明の同時清算」を主張しているのは、「共に民主党」を攻撃する意図ではない。
「共に民主党」が望む確実な政権交代、そして国家の混乱防止と危機収拾のために、(李代表ではない)他の人物が出てくるのが望ましいということだ。「共に民主党」の人たちの中にも、「李在明で大丈夫だろうか」という悩みがあるだろう。
その悩みさえもなければ、それこそ不思議ではないか。
―次期権力者にとって最も重要なことは何だと思うか。
2つの観点がある。どんなことが国民にとって緊急の課題かという政策の側面と、1人の人間としての資質の側面だ。特に指導者の徳性、つまり人間としての資質が制度と同じくらい重要だということを、私たち全員が痛感している。
2005年に出版されたある本に、今の現実にぴったりの話がある。「形式的な民主主義が完備されたからといって、効果的な民主主義が実現されるわけではない」ということだ。
数式にすると、「形式的な民主主義×エリートの高潔性=効果的な民主主義」となる。形式的な民主主義が100点でも、エリートの高潔性が0なら、効果的な民主主義も0 になる。同じ憲法の下で、大統領の権限と義務、抑制・均衡の仕組みも同じなのに、なぜ金大中政権と尹錫悦政権は違うのか。この理論で説明がついた。
ある世論調査では、次期大統領に求められる徳目として、「協治と国民統合」「法治と遵法精神」「道徳性」の順に選ばれていた。国民の多くがこれらの根本的な要求をしなければならないほど、今の政治が壊れているということだ。
―次期政権が最優先で解決すべき課題は何か。
まず、韓米関係の早期安定化と国際的な信頼の回復。そして、半導体・AI(人工知能)、およびゴールデンタイムが少し残っているバイオ産業に対して、政府が先頭に立って企業の声を聞き、大胆に支援する必要がある。
アメリカでも、グーグルが困ったら税金を免除する。それくらい大胆に支援するべきだ。
若い人材の育成も急務だ。今の政治は自分たちの欲望のために、すべてを犠牲にしていないか。若者に幻滅感だけを与えていないか。雷に打たれてもおかしくない。これらの課題に対して、洞察力とノウハウを持った人物が大統領になるのが望ましい。
―「第7共和国」実現のための憲法改正の必要性を強調しているが、具体的にどのような方向の改憲が必要だと考えているか。
「分権型大統領制」と国会議員選挙法上の「中選挙区制」をひとつのセットにするのが望ましい。権力を分散し、対話と妥協の政治が可能な多党制に移行することで、今回のような悲劇が繰り返されないようになるだろう。
新しい大統領が新しい時代を切り開いてほしい。迅速に政治界が決断すれば、120日の期間で憲法改正は可能だ。それが難しい場合、一部の大統領候補が主張しているように、次期政権で憲法改正を準備し、総選挙と同時に憲法改正の国民投票を行い、自らは3年で退任する過渡政府を設立するのが次善の策だと考えている。
―「共に民主党」と李代表が憲法改正に消極的な態度を見せている。
金元大統領も任期後半に「分権型大統領制」の憲法改正推進を指示した。1987年憲法が制定されてからわずか10年後に、そのような判断を下したことになる。
また、「中選挙区制」は盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の夢でもあった。憲法改正することが李代表に対する拒否感から生じる緊張感を緩和するのに役立つだろう。李代表は華麗に変身することが得意な方なので、憲法改正の立場に関しても変身するのではないかと期待している。
―非常戒厳事態後も尹大統領と密着している「国民の力」の動きについて、どう評価しているか。
党の立場では、憲法裁判所の弾劾決定と同時に、尹大統領とは関係を切るのではないかと思っている。しかし、損切りするだけではなく、「再誕生」する覚悟が必要だろう。あちら(国民の力)も「司法リスク」を解消しなければならない。
「ミョン・テギュンリスク」が浮上しているが、これをうやむやにしたまま進むなら、李代表を批判する資格を失うことになるのではないか。
(記事提供=時事ジャーナル)
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