というのも、彼は東京ヤクルトスワローズの守護神として活躍したことがあるからだ。
遡ること28年前、1995年に韓国プロ野球ヘテ・タイガース(現KIAタイガース)でプロデビューしたイム・チャンヨンは、中日ドラゴンズへと移籍したソン・ドンヨルの後釜として抑えの役割を与えられた。その期待に応えるかのように、1996、97年のリーグ連覇に貢献すると、98年には最優秀救援投手のタイトルを手にした。
これらの立派な成績を引っ提げ、同年に1対3のトレードで三星(サムスン)ライオンズに移籍。在籍中、シドニー五輪代表(2000)、韓国シリーズ(2001)でも活躍したが、2005年にオ・スンファン(元阪神タイガース)にポジションを奪われたことで状況は一変。
以後、2006シーズンを1試合のみの登板数で終え、2007シーズン後には事実上の戦力外となってしまう。
しかし、これを機に日本球界入りを目指したイム・チャンヨンは、2008年にヤクルトに入団し、日本デビュー初年度に30セーブ、日韓通算200セーブを達成。このシーズンの活躍が認められたことで、翌年のWBC韓国代表に選ばれることとなった。
そして前述の決勝で悲劇の投手となったイム・チャンヨンだが、その後の人生はより波乱万丈なものに。
2012年にヤクルトから自由契約となったイムは、同年12月にメジャーリーグのシカゴ・カブスとマイナー契約を結び、2013年にメジャーへと昇格するも、2014年に解雇されてしまう。その後、古巣の三星ライオンズへの入団で韓国球界へと復帰し、2016年にKIAタイガースへと移籍。2019年3月に現役引退を発表した。
こうして自らの野球人生に幕を下ろしたイム・チャンヨンだが、引退後には悪い注目のされ方をしてしまうこととなる。