韓国・京畿道(キョンギド)のべゴッ新都市に「ジャパンタウン」が作られるという情報を受けて、韓国のネット上を賛否が起きたニュースのことを覚えているだろうか。
大阪の有名飲食店50店ほどが上陸し、日本の味や文化などを堪能できるというのがジャパンタウンの売り文句にしてコンセプト。ここ数年、大阪・福岡・東京を中心に日本を訪れる韓国観光客は増え続けており、日本商品への関心も高まっていることを受けてのプロジェクトでもある。
それだけにそのニュースに触れたとき、「ジャパンタウンの造成は歓迎されてもおかしくなさそうだな」と思っていたが、そのことが韓国メディアで多く報じられるとネット上では当然というべきか、激しい賛否両論が巻き起こった。
なかでも目立ったのが反対の意見で、大統領府が設置した“国民請願”サービスには「ジャパンタウン造成を無効にしてほしい」という請願が上がるほどだった。
そもそもジャパンタウンの存在が明るみになったのは、韓国が日本の植民地支配に抵抗して行った独立運動を記念する祝日「三一節」(毎年3月1日)を控えた頃だったため、必要以上に反感を持たれてしまったのかもしれない。
そんな韓国のジャパンタウン造成計画はいま、どうなっているのか。
気になって調べてみたところ、あれからかなり苦戦を強いられているようだ。
ジャパンタウンを誘致すべく「何度も大阪に足を運んだ」と言っていた不動産会社のキム・ジョンミン社長は、韓国紙『朝鮮日報』が4月に掲載した記事の中で「ジャパンタウンという名称がここまで大きな議論を呼ぶとは思いもしなかった」と述べている。
前出の“国民請願”に約9万8000人が賛同していることからも、注目度の高さはうかたい知れるだろう。それもあってか、多くの飲食店が入居してジャパンタウンになるはずだった複合ビルは、テナント募集でかなり苦戦しているという。
一部の韓国メディアで報じられたところによると、大阪に本店を構えるとあるラーメン屋の場合、韓国でのオープンを1カ月ほど先送りにした。
近年、韓国では「日式ラーメン」というジャンルが定着するほど、韓国人に絶大な人気を誇る日本のラーメン文化だが、ジャパンタウンへの反発が収まらない険悪なムードの中で、オープンするのはさすがに避けたいという判断だったようだ。
前出の『朝鮮日報』の取材でキム社長は口には出していないが、こうした状況にもどかしさを感じているに違いない。
というのも、キム社長はもともと日本で10年間住んでいたらしく、「大阪の飲食店の前に行列を作っていた韓国観光客の姿からヒントを得て」、今回のプロジェクトに乗り出したという。
ただ、飲食店が次々と上陸する予定だった3月は「三一節」のほかにも、京畿道議会の議員らが道内の小中高校で使用される一部日本企業の製品に「日本戦犯企業の生産製品」というステッカーを張るのを義務づける条例案を提出するなどして反日ムードが最高潮に達していた。
それでもキム社長はテナント契約を躊躇する日本の店主たちを訪ね歩いて自ら説得に回ったそうだが、一部の日本店主らは「無理に出店して店にステッカーを張られたりしないか」と懸念を現したという。
結局、4月の時点で契約できた日本のレストランは4店舗のみだったらしい。
こうした状況を受けてキム社長は4月の時点で韓国メディアに「ジャパンタウンという名前を変える予定」とも話しているが、それ以降、パッタリ情報は途絶えてしまっている状況だ。もしかしたら、すでに計画は頓挫してしまったのかもしれない。
だとするならば、個人的には非常に残念でならない。
そもそも韓国にはすでに「丸亀製麺」をはじめ「カレーハウスCoCo壱番屋」「モスバーガー」「かっぱ寿司」といった外食チェーンはもちろん、パンケーキなど日本発のスイーツ専門店も数多く進出している。「日本初の奇跡のパンケーキ」というふれこみで韓国進出した店は大盛況だし、個人経営の店に至っては店名などに日本語が使われているところも少なくないのが現状だ。
こうした日本食だけではなく、韓国の若い世代たちの間では「イジャカヤ(居酒屋)」やドラマ『深夜食堂』のような「日本式家庭料理」など、“イルボンプン(日本風)”そのものが流行しており、それらが点在する弘大(ホンデ)などは「ここは昭和の東京か」と思うほど、日本語の看板が立ち並んでいる。
にもかかわらず、ジャパンタウンが歴史問題や政治的な葛藤に巻き込まれて頓挫してしまうのは残念な限りだ。
キム社長は「毎年150万人以上の韓国人が日本旅行に出かけ、すでに韓国には数多くの日本料理店が存在するにも関わらず、このような反応が出るとは知らなかった」と明かしているが、筆者も同じ思いだ。
“ジャパンタウン”という名称は使われなくとも、多くの日本飲食店が韓国に上陸し、日韓の食文化の交流を深めてほしいと思うのだが……。
(文=慎 武宏)
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