「憎たらしいが偉大すぎる」韓国が抱くイチローへの愛憎

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2013年8月に日米通算3000本安打を達成したイチローの快挙は、隣国・韓国でも大きく取り上げられた。スポーツ新聞や一般紙でも詳細に報じられ、韓国最大手検索サイト「NAVER」では、イチローの名が検索ランキング・トップ10入りしたほどである。テレビをつけると、スポーツニュースの女性キャスターも言っていた。

「韓国とは何かと悪縁多いイチローですが、それでも今日だけは拍手を送りましょう」

韓国とイチローとの因縁はWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に集約される。

第1回大会前に物議を呼んだ“30年発言”以来、韓国はイチローを目の敵にしてきた。イチローは第1回と第2回のWBCでそれぞれ12本ずつ計24本のヒットを放っているが、第2回決勝でイム・チャンヨンから放った決勝タイムリーは今でも韓国の野球ファンたちの間で“WBCの悪夢”と呼ばれている。韓国にとってイチローは、“憎き存在”でもあるのだ。

韓国代表スコアラーが明かしたWBCイチロー対策

もっとも、その実力を否定する者はいない。2013年7月に「野球ファンが選ぶ最高の野球解説者」に選ばれたキム・ヨンジュンも語る。

2006年WBCでのイチロー(写真=SPORTS KOREA)

「彼のことはオリックスで200本安打を達成したときから見てきましたが、正真正銘の“天才”ですよ。思い通りにボールを投げることができる者は多いが、思い通りにボールを打ち返せるバッターは、イチローしかいない」

キム・ヨンジュンは“スカウティングの達人”とも言われている。多数の球団でスコアラーや戦略コーチを務め、第1回WBCでは韓国代表スカウトとして日本代表の分析を担当した。当然、イチローに関しても過去のデータや資料映像を分析して、対策を練ったという。

「通常ならインサイドの高めとアウトサイドの低めを攻めるのがセオリーですが、イチローにはあえて内角、外角ともに高めにボールを集めるよう指示しました。もともと本塁打を狙ってくるタイプではないし、ボテボテのゴロでも内野安打にしてしまう足の速さがあっただけに、高めにボールを集めてレフトフライで打ち取ろうというイメージでした」

完璧に封じることはできなくとも、最低限に抑えられる勝算はあった。

確信を持ったのは、大会前にヤフードームで行われた日本代表対12球団選抜のエキシビションマッチ3連戦を視察したときだったという。

「試合前のバッティング練習も、三塁側のカメラマン席からチェックしたんです。頭とへそが動かず、ヘッドもしっかり残したまま、左胸をピッチャーに見せることなくスイングしていましたが、体の重心がいつもよりも前に出すぎている印象を受けました。インパクト時の顔の表情もどこか苦々しい。調整に遅れ、自分のバッティングができていないようでしたね」

その見立てが東京での第1ラウンドやアメリカでの第2ラウンドでは見事に的中。イチローは韓国戦2試合で9打数2安打に止まった。

「口だけ一流のイチロー」「30年発言の厄運」

逆に韓国は日本戦2連勝。キム・ヨンジュンは第1ラウンド終了後、「今のイチローなら、ど真ん中でも易々とヒットにはできないはず」というレポートを首脳陣に提出したという。

「そう言い切れるほどに、大会序盤のイチローは彼らしくなかった。調整の遅れもさることながら、原因はメンタルにもあったと思います。自分がジャパンをリードしなければならないという自覚が気負いになり、その心理的重圧があの天才的な感覚を狂わせたのでしょう」

そんなイチローの不振を嘲笑うかのこどく、当時の韓国メディアの記事にはイチローを露骨に揶揄する見出しも多かった。

「口だけ一流のイチロー」「30年発言の厄運」。3度目の対決となった準決勝前には韓国のキム・インシク監督も、「強く出過ぎると自ら崩れてしまうものだ」と、イチローへの忠告じみた発言を口にしたほどだった。

だが、準決勝で打順を1番から3番に変えたイチローは3安打1打点と、それまでの鬱憤を晴らすかのように爆発する。キム・ヨンジュンはその変化にイチローの真骨頂を見たという。

「日本ラウンドと決勝ラウンドのイチローはまったくの別人でした。アメリカに場所を移すと試合を重ねるごとに調子を取り戻しつつあったし、何よりも韓国戦に臨む心理状態が変わっていた。何かを守ろうとする姿勢から、何かを奪おうとする“挑戦者”に変身していた。WBCのような短期決戦期間中でも彼がそこまで劇的に変化することは予想できませんでしたし、語弊を恐れずに言えば、それはまさにメジャーリーグを戦うイチロー本来の姿でもあったと思います。どこに投げても打ち返してしまう。そんなオーラが漂っていました」

キューバとの決勝でもイチローの勢いは止まらなかった。9回には3点タイムリーを記録。その勝負強さに、韓国メディアも「イチローはやはりイチローだった」と舌を巻かずにはいられなかった。

韓国代表エースが語ったイチローの凄さ

もうひとり。同じようなイチロー評を語った人物がいる。第2回大会で韓国代表のエースを務めたポン・ジュングンである。

「マウンドから打者の構えを見ると、打てないコースがいくつか見えてくるものですが、イチローは内角低めも打ち返しそうだし、外に逃げていくボールにもバットを当ててヒットにしてしまいそうで、投げるべきところがまったく見当たらない。だからWBCでは“気の駆け引き”だけでは負けるなというのが、我々投手陣の合言葉でした。実力的にはイチローのほうが上なのだから、神経戦で彼を圧倒しようと」

その一策としてポン・ジュングンが試みたのが、プレーボールと同時にタイムを要求することだったという。

第1ラウンド1位・2位決定戦。先発したポン・ジュングンは、イチローが打席に入って御馴染みの構えを始めようとすると、タイムを宣告してマウンドを降り、主審に訴えている。

「観客席からのカメラフラッシュが眩しすぎて試合に集中できないと。もちろん、それをどうすることができないことはわかった上で、わざとクレームを付けたんです。イチローの間合いやリズムを狂わせたかったし、彼に近づくことでこちらが恐れていないことを見せつけてやりたかった。心理戦で優位に立つために、前日から考えていた僕なりの仕掛けでした」

この策が功をなしたのかポン・ジュングンはイチローにヒットを許さず、続く第2ラウンドでも3打数無安打に抑えて韓国勝利の立役者となり、「日本キラー」と呼ばれ一躍、有名人になる。だが、ポン・ジュングンは謙遜する。

「運が良かっただけだと思います。僕の球が走っていたわけでもなく、外角寄りにストレートとカーブを投げていたらイチローがそれを引っ掛けてくれた。彼も調子が上がらず、相当に困惑しているようでしたから」

忘れられないのは準決勝前日での出来事だという。日本と韓国のナインが同宿したサンディエゴのホテルのエレベーターで偶然、イチロー、阿部慎之介、川崎宗則らと乗り合わせた。日本の選手から冗談交じりで「もう韓国とは対戦したくない」と声をかけられ、ポン・ジュングンも「同感だ。日本戦はトゥーマッチ・ストレス」と返すと、イチローは苦笑いするだけだったという。

イチローを打ち取れなかった韓国の誤算

「互いに知らない仲でもなかったので、ぎこちなく心苦しい瞬間でした。ただ、今となってはあの苦笑いに油断してしまった気がする。3度目の先発となった決勝戦では、初回にカーブをセンター前に弾き返されましたから」

その決勝戦の延長10回。第1回大会以上に極度のスランプに苦しんでいたイチローは2死二、三塁からイム・チャンヨンから決勝タイムリーを放ち日本にWBC連覇をもたらすが、韓国では今でもときたま、あの打席のことが議論になる。

当時の捕手だったカン・ミンホが「ベンチからサインが出ていたが、それが“無理せず歩かせろ”という意味とはわからなかった。打たれたのは自分のせい」と明かしたことで、イム・チャンヨンが「いや、サインはなかった。すべて自分の責任」と初めて公の場で真実を語って話題になったこともある。

その一連のやりとりを踏まえた上で、キム・ヨンジュンはこう分析する。

「サインの有無はともかく、1球目からストレートで攻めたイム・チャンヨンのスピードは有効的でした。実際、イチローはファウルでカットするのが精一杯のようでしたから……。だからこそ8球目に変化球を選んだことが悔やまれます。バッテリーは自信がある球種で勝負したのでしょうが変化球では球威が落ちますし、イチローのように当ててくるバッターにはちょうど良いスピードだったはずです」

もっとも大事な場面で、イチローがもっとも打ちやすい球を投げてしまったバッテリー。サインの伝達ミスもさることながら、悔やみきれない誤算がそこにあったわけである。

韓国が抱くイチローへの愛憎とは・・・

ただ、ベンチで見守っていたポン・ジュングンは「ミンホのせいでもチャンヨン先輩の失投でもない」と2人を庇いつつ、しみじみとこう語る。

「究極的に言えば、野球はタイミングの戦いだと思うんですよ。WBCでもチャンヨン先輩がプレートを外したり、わざと間を置いて投げながら、イチローのタイミングを外し狂わそうとしましたが、それでもきっちり打ち返したイチローはやっぱりスゴい。WBCだけじゃありません。どんな投手を相手にしても、自分のタイミングで打てるからこそ、イチローがイチローたる所以だと思うんですよ。だから4000本安打も驚きません。むしろ40歳を過ぎてもコンスタントに結果を出している事実に、同じベテランとして勇気づけられます。彼は今でも僕の憧れであり、ヒーローですよ」

LGツインズで活躍するポン・ジュングンの背番号は51。それはイチローに憧れ高校時代から変わらず付けてきた背番号でもある。

自宅のリビングには、一時期プレーしたアトランタ・ブレーブス時代にイチローからプレゼントしてもらったサインボールが、今も飾ってある。そのボールを話の種にしながら、いつか息子にWBCの思い出話を伝えたいというポン・ジュングンの夢を聞いたとき、韓国人が抱くイチロー観の根底にあるものを感じずにはいられなかった。

憎たらしいが、偉大すぎて認めずにはいられない男。イチローを見つめる韓国の眼差しには、愛憎の感情が複雑に交錯している。

文=慎 武宏

※この原稿は『Number』836号に寄稿した記事に加筆・増補したものです。

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