彼らは最初から納骨堂の遺骨箱を狙って韓国に入国した。そしてすぐに事件が発生した。
2月24日午前11時頃、済州島のある寺院の納骨堂を訪れた遺族は、驚愕した。納骨堂の扉が壊されており、中にあった遺骨箱がなくなっていたのだ。
遺族はすぐに納骨堂の職員にこの事実を知らせた。納骨堂に安置されていた遺骨箱のうち、6基が盗まれていた。通報を受けて出動した警察は、納骨堂内に設置されていた監視カメラ(CCTV)の映像を確保し、分析を行った。
映像には、当日の午前1時10分頃、黒い服を着てマスクと帽子をかぶった2人の男が、施錠されていた納骨堂の扉を鉄棒で壊して侵入する様子が映っていた。その後、納骨堂の内部に入り、仏像の下にある納骨箱の陳列棚の扉を触りながら、吸盤を使ってガラスを取り外し、その中にあった遺骨箱をバッグに入れ、悠々と立ち去る様子が記録されていた。
翌日の2月25日午前、カンボジアから納骨堂の関係者に電話がかかってきた。「私たちが遺骨を持っている。金を払えば遺骨箱を返す」と言い、200万ドル(約2億9700万円)を要求した。
彼らはテレグラムを通じて盗んだ遺骨箱の映像を送り、金を払うよう再び脅迫した。彼らが盗んだ遺骨箱は、安置費用が約2000万ウォン(約200万円)に達するものとされている。仏像に近いほど費用が高くなることを知っており、裕福な人々の遺骨を狙ったことが調査で判明した。
警察は、彼らの身元特定に乗り出し、出入国記録を通じて正体を突き止めた。容疑者は、2月18日に観光客を装い、無査証(1カ月間ビザなしで滞在可能)で済州を訪れた40代の中国人男性2人だった。
済州での行動も明らかになった。彼らは観光をする代わりに、複数の納骨堂を訪れ、遺骨を安置するふりをしながら犯行場所を物色し、今回の納骨堂も3回下見していた。また、事前に道具を準備し、早朝の時間帯を狙って犯行に及ぶなど、綿密に計画を立てていた。
納骨堂で遺骨箱を盗んだ後には、近くの山中に埋めた。遺骨箱の位置を把握するため、進入路の周辺や木に特別な印をつけるほど周到に準備していた。夜が明けるとすぐに済州国際空港へ移動し、午前8時30分の便でカンボジアへ出国した。
警察は、容疑者たちが隠した遺骨箱を見つけるため、大規模な捜索を開始した。周辺の監視カメラ映像を分析し、寺院周辺を重点的に捜索しながら範囲を広げていった。そして、犯行現場から1.5km離れた山中に埋められていた遺骨箱をすべて発見し、遺族に引き渡した。
容疑者たちは、盗んだ遺骨箱を3基ずつ分けて、それぞれ400m離れた地点に埋めた後、隣の木の樹皮を剥がして埋めた場所の目印にしていた。警察は、彼らが遺骨箱を分散して埋めた理由について、最初の脅迫で金を手に入れた後、さらに再び脅迫するためだったと推定している。
警察は、容疑者らに対し、特殊窃盗、遺骨営利目的収得、恐喝などの容疑を適用し、国際刑事警察機構(インターポール)に対して赤手配を要請した。
ところで、遺骨箱を盗んで金品を要求する事件は、過去にも発生していた。
2012年7月19日、シン氏(43)が全羅南道・霊岩(ヨンアム)郡にある家族納骨堂を訪れた。前日に台風による強風と豪雨があったため、納骨堂に被害がないか確認するためだった。
シン氏は、遠方に住んでいながらも、頻繁に先祖の墓を訪れ、管理していた。幸いにも納骨堂に台風による被害はなかった。しかし、異変が目に入った。普段しっかりと施錠されていた鍵が壊されていたのだ。
これを見たシン氏は、背筋が凍りつくとともに、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。納骨堂の中に入ってみると、両親をはじめ、おじやおばの遺骨箱など、4基の遺骨が消えてなくなっていた。
その翌日、全羅南道・務安(ムアン)でも遺骨盗難事件が発生した。
務安郡に住むパク氏(56)も家族の納骨堂を訪れ、驚愕した。納骨堂の錠前が鋭利な道具で切断されていたのだ。その中にあった弟の遺骨箱が跡形もなく消えていた。遺骨箱を盗まれたのは、シン氏やパク氏だけではなかった。
同じ年の9月30日、秋夕(チュソク)当日の午前、務安郡に住むチャン氏(51)は、家族10人余りと共に自宅から1km離れた先祖の墓地にある納骨堂へ墓参りに行った。そこにはチャン氏の両親と祖父母の遺骨が安置されていた。チャン氏は納骨堂の扉が破壊されているのを見て異変を感じた。もしやと思い納骨堂の中を覗くと、4基の遺骨箱がなくなっていた。
同日の午前、務安郡に住むチョ氏(48)も、近くの裏山にある納骨堂へ墓参りに行き、納骨堂内の遺骨がなくなっていることを確認した。
こうして、2012年7月から9月にかけて、務安郡(3世帯)と霊岩郡(1世帯)の納骨堂から盗まれた遺骨は、計13基に上った。いずれの納骨堂も、先祖の墓地に大理石で家の形に作られ、その内部に遺骨箱を入れ、鍵をかける方式になっていた。遺骨箱の連続盗難が相次ぎ、通報が寄せられると、警察は捜査に乗り出した。
ところが、この事件には共通点があった。どの遺骨箱のあった場所にも、犯人が残したメモが発見されたのだ。
メモはビニールに包まれて置かれており、「(遺骨を)探したければ『務安新聞』に広告を出し、家の電話番号と携帯電話番号を残せ」と書かれていた。パク氏らは、数日後、実際に新聞に遺骨箱を探す広告を掲載し、連絡先を残した。
すると犯人は、広告に記載された電話番号に連絡し、「1億ウォン(約1000蔓延)を送金すれば遺骨箱を返す」と告げ、銀行口座番号を伝えた。パク氏は金を送らず、すぐに警察に通報した。
警察はその口座を追跡し、名義人を特定しようとした。しかし、口座は他人名義で開設されたものであった。次に電話の発信地を追跡したが、国内ではなく中国からの発信であることが判明した。現場に残された指紋を照合したものの、国内には一致するものがなかった。また、電話の相手はぎこちない朝鮮族の口調で話していた。
警察はこれらの状況から、新手の「ボイスフィッシング」手口と判断した。つまり、韓国内にいる人物が遺骨箱を盗み、それを利用して、中国にいる共犯者が金を要求し、追跡を免れようとする手法だと見なした。
犯人たちは被害者に2~3回電話をかけ、2000万~3000万ウォン(約200~300万円)の範囲で金額交渉をしようとする態度を見せた。被害者のパク氏が警察に通報したことを知ると、「遺骨を便器に流してやる」とまで脅迫した。祖先や家族の遺骨を盗まれた被害者たちは、極度の苦痛に苦しんだ。
チャン氏は遺骨箱を盗まれた後、「もしかしたら、誰かが戻しているかもしれない」と思い、夜11時にタクシーで納骨堂を訪れたことがあった。夢の中で祖先が「ここにいるから探しに来い」と話す夢でも見たいという気持ちが強かったという。チョ氏の家族も「心にずっと恨みが残っている」と語った。遺骨箱が盗まれた村では、「人間の骨の粉が難病に効くという迷信を信じる者が盗んだのではないか」という不穏な噂まで流れた。
この事件の主犯は韓国人である可能性が高い。犯人が残したメモの筆跡を見ると、誤字やスペースの使い方がすべて同じだった。韓国人と推定される主犯が最初にメモを書き、それを共犯の朝鮮族がそのまま書き写した可能性がある。
また、中国から脅迫電話をかけてきた共犯と話していた遺族が、相手に罵声を浴びせると、共犯は「私には悪口を言わないでくれ。これは韓国人がやったことだ」と、思わず韓国人が主導したことを白状した。
主犯が韓国人であると断定できる根拠は、さらにある。共犯者は被害者と通話する際に、「兄さんたちが刑務所を出てきたばかりなのに、また刑務所に行くことになるのか」と話した。
この発言から推測すると、主犯には前科があり、出所して間もなく再び犯罪に手を染めた可能性が高い。
また、主犯は務安地域の事情に詳しいか、もしくは務安に住んでいる可能性がある。被害者の連絡先を知るために「務安新聞に広告を出し、電話番号を残せ」と指示したことから、普段からこの新聞をよく見ていることがわかる。
さらに、被害者が警察に通報すると、共犯者を通じて電話をかけ、「社長さん、ふざけてるんですか?本当に見つけたいんですか?」と詰め寄り、「なぜ警察とそんなに連絡を取るんですか?」と、被害者の行動を把握している様子を見せた。別の被害者にも電話をかけ、「遺骨をトイレに流してやる」と脅迫した。犯人が務安にいなければ知ることのできない情報だ。
このことから今回の事件の犯人は、主犯と共犯を含め、少なくとも2~3人であると推定される。韓国人と推定される主犯が警察の追跡を逃れるために、韓国内にいる中国朝鮮族を共犯として引き入れ、さらにその共犯者を利用して中国にいる別の共犯者と連携し、連絡役を担わせるなど、入念に計画を立てて犯行に及んだと考えるのが妥当だ。
そのためか、現在も犯人は捕まっておらず、盗まれた遺骨も発見されていない。先祖の遺骨を人質に取った誘拐犯の正体は、依然として闇の中だ。
遺骨箱の窃盗事件は、今後も続く可能性が高い。人を誘拐するよりも犯行が容易であり、刑罰も比較的軽いためだ。最近では、家族の納骨堂を山の墓地に建てて先祖を祀るのが一般的になっており、犯行対象を選ぶのも簡単になっている。屋外の納骨堂が犯罪の標的になれば、成す術がない。
似たような被害を防ぐための最低限の対策として、納骨堂には施錠装置とCCTVを設置することが重要だ。その後も定期的に点検し、管理を徹底することが最善の策だろう。
故人となった先祖を人質に取り、遺族から金を脅し取る手口は、過去にもあった。1999年3月10日、当時のロッテグループ会長であったシン・ギョクホ氏の父親の墓が荒らされ、頭部の遺骨が盗まれた後、金品が要求される事件が発生した。
犯人はシン会長の執務室に電話をかけ、「遺骨を取り戻したければ、現金8億ウォン(約8000万円)を用意しろ」と要求した。警察が捜査に乗り出し、盗掘から5日後に主犯のイム氏と共犯のチョン氏を逮捕した。
裁判の結果、犯人たちはそれぞれ懲役5年の刑を言い渡された。
このうち共犯のチョン氏は、出所後の2004年に、ハンファグループのキム・スンヨン会長の祖父母の墓を盗掘し、数億ウォンを要求したが、未遂に終わり、再び懲役5年の刑を受けた。
さらに、出所直後の2010年1月には、テグァングループの創業者であるイ・イムヨン氏の墓を盗掘し、10億ウォン(約1億円)を要求したが、またしても未遂に終わった。同一犯が出所後、立て続けに財閥家の先祖を標的に犯罪を繰り返したのである。
最終的に、チョン氏は拘置所に収監された後、「極端な選択」をしてこの世を去った。
(記事提供=時事ジャーナル)
■白骨化した遺体が相次いで発見されている韓国…捜査が進展せずにいる理由
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