韓国が1980年代から1990年代にかけて、米エネルギー省が選定する原子力、エネルギー、先端技術協力が制限される「センシティブ国」リストに含まれていたことが確認された。
韓国外交部は現在、関連状況を把握している。
3月17日、『聯合ニュース』の報道によると、韓国は1980年代と1990年代にアメリカの「センシティブ国」リストに登録されていたが、1994年7月に解除されたことが、米会計監査院(GAO)の報告書で確認された。
今年1月、米エネルギー省が韓国を「センシティブ国」およびその他の指定国リストに追加したのが、初めてではなかったことになる。
「センシティブ国」とは、政策的な理由から特別な考慮が必要な国を指す。米エネルギー省は、国家安全保障、核不拡散、地域不安定、経済安全保障上の脅威、テロ支援などを理由に、特定の国を「センシティブ国」リストに含めることがある。センシティブ国には中国や北朝鮮、イスラエル、ロシア、イランなどが含まれている。
1988年10月のGAO報告書によると、1986年1月から1987年9月までのDOEロスアラモス国立研究所などの核兵器関連研究所の訪問者統計において、韓国は「センシティブ国」の一つとして記載されていた。
1996年のGAO報告書でも、1993年1月から1996年6月までの統計で韓国が「センシティブ国」に含まれていることが確認された。
該当文書の脚注には、「1994年7月28日付で次の国家はこれ以上、センシティブ国とみなされない」とし、韓国を含むいくつかの国を列挙しており、この時点でリストから解除されたとみられる。
これは1993年12月に開催された第1回韓米科学技術共同委員会で、韓国側がアメリカ側に是正を求めたことが反映された結果と解釈される。
当時、韓国側は「韓国を含む50カ国をセンシティブ国として分類し、エネルギー省およびその傘下の19カ所の研究所を訪問したり、研究活動を行ったりする際に一連の検査手続きを経る必要があるため、両国間の人的交流の障害になっている」とし、エネルギー省の内部規定の是正を要求した。これに対し、アメリカ側は検討すると応じた。
この報告書は1986年1月から1987年9月、および1993年1月から1996年6月までの2つの期間のデータを示している。しかし、これらの報告書だけでは、韓国がいつ最初に「センシティブ国」に指定されたのか、また2つの報告書の間に一時的にリストから外れたことがあったのかについては確認が難しい。
韓国科学技術企画評価院のイ・チュングン招聘専門委員は『聯合ニュース』に対し、1981年に韓国が初めて「センシティブ国」に指定されたと認識していると述べた。
当時の「センシティブ国」指定の背景が、現在の国内情勢と重なるとの分析もある。具体的な確認は取れていないが、朴正熙(パク・チョンヒ)政権が推進していた独自の核武装計画の影響や、1979年の12・12軍事クーデター、1980年の5・18民主化運動など、政治的な激動期が影響を与えた可能性が指摘されている。
その後、1990年前後の冷戦終結や、1991年の南北朝鮮による朝鮮半島非核化共同宣言の発表を受け、韓国がリストから解除された可能性があるとみられる。
現在も政界の一部で独自の核武装論が強まり、弾劾局面など政治的な混乱期にある点が、当時と共通する部分があるとの評価も出ている。
(記事提供=時事ジャーナル)
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