2024年12月29日、179人の死者を出した韓国・務安(ムアン)国際空港での旅客機事故が発生して283日が経過した。しかし、遺族たちの時計は今も「その日」で止まったままだ。秋夕(チュソク/旧盆)の大型連休期間も、それは同じだった。
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かつて旅行客でにぎわった務安空港はいま閉鎖された状態だ。10月6日に本サイト提携メディア『時事ジャーナル』記者が現場を訪れたときも、遺族と弔問客を除いては人影がまばらだった。
当初は10月10日まで閉鎖することにしていた務安空港は、安全上の問題を理由に来年1月までこの状態が続く予定だ。
空港の進入路では、犠牲者を追悼するリボンが風に揺れていた。特別な文章は書かれていなかったが、悲しみと虚しさを伝えるには十分だった。人影が途絶えた滑走路と静まり返った道路の間でリボンがはためく光景は、見る人の胸を痛めた。
遺族たちがとどまっているのは務安空港2階だった。そこにはテントが約10個所狭しと並んでおり、成人男性2~3人が横になればいっぱいになるほどの広さだった。1階のコンビニは午後5時までしか営業しておらず、生活必需品をその時間までに買わなければならなかった。長く滞在する人々にとって、この限られた営業時間は小さくも大きな不便だった。
1階の合同焼香所には、遺族たちの要求事項がはっきりと記されていた。「遺族の血の涙を無視するな」「真実を覆い隠す警察も共犯だ」といった全南(チョンナム)地方警察庁に向けた訴えもあった。
大多数の弔問客は順番を待ちながら落ち着いて焼香をした。遺族たちも彼らに礼を尽くして迎えた。しかし、一部の遺族はその過程で感情が込み上げ、声を上げて泣いた。静まり返っていた空港は瞬く間にすすり泣きで満たされた。
現場を訪れた人々の中には政治家もいた。カン・ギジョン光州(クァンジュ)市長、チョン・ジンスク議員、シン・ジョンフン議員、カン・ウンミ前議員などだ。特に、カン前議員は弔問後も遺族の話を聞き、慰めの言葉をかけた。
事故直後の政治界からの関心は、季節が変わるにつれ冷めた。この場所に残ったのは遺族と数人の関係者だけだ。
旅客機事故の遺族である女性は、報道陣に対し「調査と捜査を待とうと言った李在明(イ・ジェミョン)大統領の発言以降、地域の政界とメディアも大きな関心を示していない」と吐露した。
一方、遺族のそばを守る人々もいた。清掃労働者と務安空港の職員たちだ。清掃労働者は黙々とトイレを磨き、床を掃き、職員たちは普段通り空港内を管理・監督し、必要に応じて案内放送を流した。
この日、遺族協議会は秋夕を迎えて合同の祭祀と流灯(とうろう流し)行事を行った。遺族協議会のキム・ユジン代表は「昨年の秋夕に一緒にいた私たちの時間がふと思い出される。仲良く囲んで笑って語り合ったその瞬間が目の前に鮮やかに蘇る。そのときはあまりにも当たり前だった日常が、いまは胸を締め付ける恋しさとして残り、私たちの心を揺さぶる」と語った。
短い行事のおかげで、マスコミと政界の関心が一時的に蘇った。しかし遺族たちは、今回ばかりはその関心が通り過ぎてしまわないことを願っている。
12.29務安空港済州航空旅客機惨事遺族協議会追悼事業部のキム・ソンチョル常任理事は、「遺族の立場としては、市民が共に記憶してくださるだけでも大きな慰めと力になる」と呼び掛けていた。
(記事提供=時事ジャーナル)
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