ヴァヒド・ハリルホジッチ監督の電撃解任によって、急きょ、日本代表の指揮官に就任することになった西野朗監督。現役時代は日本代表FWとして活躍し、指導者としても1996年アトランタ五輪でブラジル相手に大金星を挙げるなどの実績を残してきた。
特にJリーグでの指導者実績は輝かしい。柏レイソル時代(1998年~2001年)はナビスコカップ優勝、ガンバ大阪時代(2002年~2011年)にはリーグ優勝1回、天皇杯優勝2回、ナビスコカップ優勝1回、ACL優勝1回と、数多くのタイトルを手にした。
ヴィッセル神戸時代(2012年)や名古屋グランパス時代(2014年~2015年)は優勝争いから遠ざかったが、Jリーグ通算270勝は歴代最多だ。
そんな西野監督の指導者としての手腕は韓国も認めている。西野監督のもとでプレーした韓国人Jリーガーたちが、その指導力を高く評価しているのだ。
例えばホン・ミョンボだ。柏レイソルでプレーした韓国サッカー界の英雄は、著書『ホン・ミョンボ自伝』で、西野監督との出会い、交流、教えと絆など、さまざまなエピソードを明かしている。
そのすべてをここにたっぷりと紹介しよう。
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指導者の中にも日本サッカーの牽引車になりうる人材がいると思う。例えば西野朗監督だ。
西野監督は日本時代に僕がもっともお世話になった監督のひとり。僕らの関係は柏レイソル時代から付き合いが始まったのだが、彼は非常に優秀な指導者だ。
コーチングセンスに優れ、学ぶ姿勢も忘れない。世界各国のサッカー情勢にも敏感で、それを独学で学んでは現場に反映させていた。
カリスマ性があり、選手たちを掌握する術にも優れている。レイソルは1999年にナビスコカップで優勝を果たしているが、それは西野監督の手腕によるところも大きい。
西野監督からチームのキャプテンをしてくれと打診されたのは、1999年シーズンが終わろうとしていた頃だった。
あまりに突然のことだったし、レイソルには外国人選手がキャプテンを務めた前例がなく、言葉の問題もあったので、僕はその打診を丁寧に断った。
しかし、西野監督は諦めなかった。
何度も何度も僕を呼び出しては説得を繰り返したのだ。その熱意に折れて僕は2000年度からチームのキャプテンを務めることになったのだが、監督の熱っぽい語り口は僕への信頼がしっかりと伝わってくるものだった。
そんな西野監督の期待に応えようと、レイソル時代は僕なりの方法でチームを牽引したつもりだ。試合前は選手たちを集めて精神力の重要性を説き、調子を落としている選手がいれば食事に誘って励ましたりもした。
シーズン開幕前にはチームメイトたちを焼肉屋に集めて決起集会を開いたこともある。
もちろん西野監督も賛同してくれ、僕たちの関係は一層強固になった。監督とキャプテンという立場こそ違ったが、それぞれがお互いの仕事と役割を尊重していた。
それだけに2001年夏に西野監督がレイソルを途中解任されたときにチームが受けたショックは大きく、僕も胸が痛かった。
あのときは西野監督を更迭するような状況ではなかったと思う。
確かに2001年度のファーストステージは不本意な成績で終わっていたが、僕としてはセカンドステージこそ巻き返すつもりだったし、選手たちもその気だった。
そんなときに突然、監督の更迭が決まったのだ。
チームの雰囲気が壊れてしまったのは言うまでもなく、僕を含めた選手全員が監督のキャリアに傷をつけてしまったことに責任を感じずにはいられなかった。
西野監督はその後、ガンバ大阪の指揮をとることになったが、僕は今でもあのとき監督を更迭に追いやってしまったことを申し訳なく思っている。
ただ西野監督は今後、さらにその名声を高めていくことだろう。それはガンバ大阪の躍進を見れば一目瞭然だ。
かつて下位チームのひとつに過ぎなかったガンバ大阪が優勝争いに食い込むことができたのは、選手の能力を引き出すのがうまい西野監督の手腕によるところが大きいのではないだろうか。
日本のサッカー関係者たちがどう思っているかは知らないが、僕は西野監督のような指導者が将来の日本代表監督に適していると思う。
ちなみに西野監督とは、今でも頻繁に連絡を取り合う仲だ。監督は韓国に来ると僕のもとに電話をかけてくるし、僕もときたま国際電話をかける。
見た目はクールな西野監督だが、普段はよく笑い、大胆で、懐の深い人物である。近い将来、日本サッカー界を牽引していく指導者になることは間違いないだろう。
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ホン・ミョンボが西野監督についてこのように詳しく書き綴ったのは、このときが初めてであり、唯一。しかも、これは2002年秋に書かれたものだった。
つまり、16年前の時点でホン・ミョンボは西野監督の日本代表監督就任を予言していたわけだ。
この予言も凄いが、実際に日本代表監督となり、ワールドカップという大舞台でコロンビア相手に大金星を飾った西野監督はもっと凄い。
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