韓国憲法裁判所の裁判官8人全員が大統領の罷免を決定し、私たちはまたひとつの歴史的瞬間を経験した。
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弾劾訴追代理人団のチャン・スンウク弁護士が最後の弁論で引用した「すべてのものが本来の場所に戻る風景、世の中で最も美しい風景」という歌詞のように、私たちは憲法的価値が美しく再確認される瞬間を目の当たりにした。
しかし、法治主義の回復がすなわちすべての傷の癒しを意味するわけではない。
本来あるべき姿に戻さなければならないもの、真相究明が徹底されるべき課題が、私たちの前に今も重く横たわっている。
弾劾決定当日の4月4日、市民が応援棒を振って歓声を上げるなか、紫のジャケットを着た梨泰院(イテウォン)惨事の遺族たちが互いに抱き合い、安堵と無念の涙を流す姿が見えた。
その場には、ここ数年の間、国家の保護を受けられず苦しんできた多くの人々が共にいた。
非常戒厳をめぐる対立の中で消耗した国民的なエネルギーと、広場での分裂を後にし、今こそ再び日常に戻るべきときが来た。しかし、この日常への復帰は過去の問題を覆い隠すことではなく、真実の究明と責任の所在を明らかにする過程を伴わなければならない。
韓国国民すべてが忘れることのできない2014年4月16日。テレビ中継で、セウォル号の沈没を見守らなければならなかった。
多くの乗客が死亡・行方不明となる惨状が次々と報じられ、奇跡は起きなかった。当時、筆者はやっとの思いで妊娠に成功したものの、流産の危険が大きく、毎日を不安の中で過ごしていた。
お腹の中で10カ月子どもを育てるということが本当に大変に思え、世のすべての親が尊敬の対象に見えた。10カ月育てて抱きしめることすら奇跡なのに、その子を高校生になるまで、成人するまで育て上げるというのはどれほど困難なことだろうか。
修学旅行に送り出した子どもたちと二度と会えないという事実が、親にとってどれほどの意味を持つのだろうか。当時、多くの人が言葉にならない悲しみを分かち合った。
2022年10月30日、日曜日。その日は14時に長女の友達とハロウィンイベントに参加する約束をしていた。コロナ禍で数年ぶりに開かれる行事だった。
日曜の朝、世界がひっくり返ったかのような梨泰院惨事の報道が続き、犠牲者は増え続けた。最終的にイベントへの参加を取りやめ、家族でテレビの前に座った。
その日のニュースでは、セウォル号事故も再び報じられた。長女が生まれた2014年にセウォル号が沈没する映像と、梨泰院事故の現場映像を見て、子どもたちは質問を浴びせかけた。
イベントを企画した人は何をしていたのか、企画した人がいないならこれだけの死は誰が責任を取るのか、国民が危険にさらされたとき国家はどんな役割を果たすのか。そして、自分が高校生になっても絶対に修学旅行には行かせないでほしいと、涙を流して訴えた。
それから1年も経たない2023年7月19日。海兵隊員たちが救命胴衣なしで捜索作業を行っていたところ、急流にのまれて流された。
私たちは大韓民国の軍人であり、国民であり、大切な息子を失った。立派な若者たちが国家を守る使命を果たすために入隊したが、国家は彼らを守らなかった。
守れなかったのではない。装甲車さえ撤収するほどの急流の川に、救命胴衣も安全ロープもなしに入水しなければならなかった彼らが犠牲になり、傷つき、仲間の死に苦しんでいるにもかかわらず、関係者の一部を除外せよ、容疑事実を削れ、移送を保留せよと、電話を回して責任を軽くしようとした。軍人は国家を守るが、軍人の命と安全は誰が守るべきなのか。
私たちはいま、改めて問い直す。「本来の姿」とは何か。
「本来の姿に戻る」ということは、単に過去に回帰することではなく、壊れてしまった正義と信頼を回復することだ。セウォル号惨事、梨泰院惨事、チェ海兵の殉職事件、そして非常戒厳による社会的混乱まで、これらすべての悲劇には共通点がある。
国家が国民を守れなかったということ、より正確に言えば、守ろうとしなかったということだ。真実に背を向け、責任を回避し、権力の利益のために国民の生命と安全を後回しにする慣行が繰り返されてきた。
一市民であり、法律家として筆者は問いたい。私たちは国家に何を望むのか。成長や発展、国格の向上も重要ではあるが、それ以前に、国民の生命と安全を守ることこそが、国家の最も根本的な存在理由ではないだろうか。
憲法に明記された基本権保障の義務は、単なる宣言ではなく、国家の存在根拠であり、国家権力の行使における限界を定める基本原則だ。国民の生命と安全を保障できない国家は、どんなに華やかな成果を挙げたとしても、本来の責務を果たしたとはいえない。
法治国家において、国家権力は法によって制限され、統制される。このような法治主義は、単なる形式的な手続き遵守だけでは完成されず、国民の基本権を実質的に保障するところまで到達しなければならない。
今回の憲法裁判所の決定は、形式に偏った法治主義を超えて、国民の権利を実質的に保護する真の法治主義の回復へとつながる重要な契機となるべきだ。国家の本質的存在理由が国民の安全と権利の保障にあるにもかかわらず、逆説的に国家権力がむしろ国民の安全を脅かすという矛盾した状況の繰り返しは、もはや許されない。
憲法的価値が回復されるこの春の日に、私たちに必要なのは単なる過去への回帰ではなく、より良い未来へ向けた根本的な省察だ。国家は国民のために存在するという基本的価値を改めて心に刻み、国民の声に耳を傾け、真実を直視し、責任から逃げてはならない。
そのとき初めて、私たちは真の「本来の姿を取り戻す」という意味を実現することができる。
「行ってきます」と言って家を出た人々が、無事に安全に家へと戻ってくる社会、国民の日常がしっかりと守られる社会こそが、本当の意味での「本来の姿」ではないだろうか。
いま私たちは、弾劾という憲政史上の過程を経て、日常へと戻る転換点に立っている。この過程の中で、誰もが「大切な人を守れなかった」という罪悪感で胸を叩いたり、自分の立場からは何も解決できないという無力感で絶望したりしないことを、心から願う。
日常への復帰とは、過去の傷や責任を忘れることではなく、より良い国家を共に築いていく出発点であるべきだ。私たち全員が共に守っていかなければならないその場所から、より良い大韓民国へと向かう新たな旅が始まることを願っている。
●キム・スクチョン弁護士
(記事提供=時事ジャーナル)
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