大学の建物前のアスファルトには、学生たちの学科ジャンパーが整然と並べられていた。
【注目】「女性嫌悪が存在する証拠」女性団体が同徳女子大を応援
建物前に並ぶ弔花、建物の外壁に貼られた大きなポスターやポストイットに加え、建物やアスファルトに赤いスプレーで書かれたテキストが、学生たちの怒りを明確に表していた。
これは11月11日から始まり、11月21日に中断された韓国の同徳(トンドク)女子大学の男女共学化に対する反対デモの話だ。
このデモは、11月8日、同徳女子大の学生会が大学の男女共学化に関する議題が11月12日に教務会議で議論される予定と発表した声明をきっかけにして始まった。大学関係者が「まだ決定されたわけではない」と明かしたにもかかわらず、在学生たちは文字通り「決死反対」のデモを開始した。
11月20日には学生会則に基づく最高意思決定機関である「学生総会」が開かれ、議決定足数650人を大きく上回る約2000人の学生が参加。これは全在学生の約30%にあたる人数だ。
その場で男女共学転換と学長選挙制についての投票が行われ、両議題とも99.9%の割合で共学転換反対と学長選挙制賛成という結果が出された。
今回の同徳女子大のデモは、同徳女子大にとどまらなかった。徳成(トクソン)女子大、淑明(スクミョン)女子大、誠信(ソンシン)女子大、ソウル女子大など、全国の4年制女子大7校のうち、6校が支持と連帯の意を表明した。
また、同徳大のデモを契機に、女子大学の存続に関する女子学生の関心が他の女子大学にも広がった。光州(クァンジュ)女子大の学生たちは、来年から成人学習者と外国人留学生に限り、男性も入学可能とする学校方針に対して、“学科ジャンパーデモ”を行った。
誠信女子大も同様の内容でデモを行った。
事案は異なるが、ソウル女子大では学生へのセクハラや嫌がらせで処分を受けた教授が、その事実についてポスターを貼った学生3人を告訴した事件で、学生たちが積極的にデモに出た。その教授は辞表を提出したが、学生に対する告訴は取り下げていない。
男女共学化に対して女子学生が最初に感じるのは、女性の空間が侵害されるかもしれないという不安だろう。
すでにテレグラム「n番部屋」の性搾取事件、ディープフェイク性犯罪事件、トイレや路上での違法撮影、ストーキング、暴行、交際暴力をはじめ、女性という理由だけで経験しなければならない事件や犯罪が蔓延しているのが現実だ。
したがって女性たちはオンラインおよび現実の空間で、安全感に対する意識が高まらざるを得ない状況に置かれている。
同徳女子大のデモは、私たちの社会において女性差別が依然として深く根付いており、女性嫌悪が日常的に現れているという事実を赤裸々に示した。
反女性主義団体である「新男性連帯」は、同徳女子大の学生の「個人情報を暴露する」として、1カ月間、正門前で集会を開くことを届け出た。20代の男性2人は学生たちが滞在している建物内に、また男性ユーチューバー2人と別の20代の男性1人が、それぞれ異なる日に同徳女子大に無断侵入した。
10代と推定される京畿道・柔術会に所属する男子学生は、同徳女子大のデモ投稿に「キムチでも漬けていろ。何でそんなにうるさいんだ、女が」とコメントを残した。ソウル市の柔術会代表選手である男性は、漢陽(ハニャン)女子大の同徳女子大連帯宣言の投稿に「殴っても構わないか?」とコメントした。
それだけでなく、とあるネットユーザーは「うちの会社では履歴書が来たら女子大は切る」と投稿して論争になり、最終的に雇用労働部が実態調査に乗り出した。韓国産業人力公団の理事長は、同徳女子大卒は採用したくない、嫁としては受け入れたくないという投稿を自身のSNSに上げた。
女子大学が完全に女子大学として存在することを求めるデモをしただけで、このように嫌悪と脅威に満ちた暴力的な言動の標的にならなければならないという事実自体が、皮肉にも女子大学の存続理由を説明している。
女子大学は、安全な環境のなかで女子学生たちがこのような嫌悪や差別に立ち向かう主体性を育むことができる空間だ。これまで社会で女性として社会化され、適応して生きてきたなかで無意識に内面化していた性別に関する固定観念や偏見を捨て、女性としての主体性を身体的・精神的・知的に、全身の感覚で新たに学ぶことができる空間なのだ。
同徳女子大事件をきっかけに起こった女子大学のデモは、韓国社会で今、この時点で女子大学が存在すべき理由は何かという問いを投げかけている。
女子大学は、女性人権の歴史と結びついて進化してきた空間であると理解すべきだ。
かつて高等教育は男性だけのものであったため、女性のための女子大学が設立された。1886年、アメリカの宣教師スクラントン夫人が設立した梨花(イファ)学堂(現・梨花女子大)は、韓国初の女性教育機関だ。
その後、1948年の憲法制定により性別平等が明記され、1950年に義務教育が導入されて初めて、女性にも普遍的な教育機会が法的に保障されることとなった。1960年代から1980年代にかけて、経済発展とともに女性労働者の育成が必要だった政府・企業の利害関係から、女性を対象とする高等教育機関も増加した。
かつて韓国に26校あった女子大学は、1990年代を経て大幅に縮小された。
韓国政府は1987年に卒業定員制(入学時に卒業定員の30%を増加募集し、卒業定員を超えた学生は中途脱落する制度)を廃止し、1995年に大学設立基準を緩和した。それにより、大学数が急増し、大学間の競争が激化した。そのため1990年代に、主に首都圏外の女子大学が男女共学への転換を決定した。
曉星(ヒョソン)女子大は1994年に大邱(テグ)カトリック大学と、聖心(ソンシム)女子大は1995年にカトリック大学と統合され、祥明(サンミョン)女子大は1996年に祥明大学に、釜山(プサン)女子大は1997年に新羅(シルラ)大学に改名された。現在、全国には4年制女子大学が7校、専門学校が7校残っている。
このような文脈に加え、現在、女子学生の大学進学率がむしろ男子学生よりも高いという理由で、同徳女子大のような女子大学の男女共学化に賛成する主張が聞かれることもある。しかし単に大学進学率の量的平等を持ち出して女子大学の存在価値を否定することは、教育の本質と女性の社会的立場を短絡的に見ることだ。
人口減少に伴い、大学の入学者募集および財政状況が厳しくなっているのは、決して女子大学だけの問題ではなく、地方の私立大学はさらに深刻な危機に直面している。このような状況のなかで、女子大学の男女共学への転換は、長期的な解決策とは言い難い。
同徳女子大の事態を契機に、今この時代に女子大学がなぜ必要なのか、今後の社会で女子大学はどのような役割を積極的に果たしていかなければならないのかについての議論を通じて、女子大学の意義を再定義していかなければならない時期に来ている。
11日間にわたる抗議を続けていた同徳女子大の学生たちは、学校側が男女共学転換の議論を中止することを決定し、抗議を一旦終息させた。しかし、学生会側は議論の中止ではなく、全面的な撤回を要求して本館前での抗議を継続している。
学校側は、抗議活動による施設への被害額が約54億ウォン(約5億8000万円)に達すると発表し、就職説明会の中止による損害額3億3000万ウォン(約3550万円)を学生会に請求した。
学生たちと相互にコミュニケーションを取りながら学校を運営していかなければならない教育者として、また若い世代と共に未来を築いていかなければならない立場として、何が責任ある姿勢なのかを私たちは自問しなければならない。
女子大学の意義を単なる過去の遺産としてではなく、より良い未来を実現するためのビジョンとして位置づけるために、私たちの社会が一緒に考え、共に進むべき時期が来ている。
(記事提供=時事ジャーナル)
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