“1000日天下”に終わった韓国・尹前大統領…政界入りからわずか8カ月でトップに立ち、非常戒厳で自滅するまで

2025年04月04日 政治 #時事ジャーナル
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「この国を、国民が真の主人である国へと再建し、国際社会において責任と役割を果たす国にしなければならないという時代的使命を胸に、私は本日この場に立ちました。自由、人権、公正、連帯の価値を基盤とし、国民が真の主人であり、国際社会で責任を果たし尊敬される国を、偉大な国民の皆さんと共に必ず築いていきます」

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2022年5月10日の就任式でこのような覚悟を語り、政界入りからわずか8カ月で「星の瞬間」を迎えた尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領。だがそれから3年後の2025年4月4日、憲法裁判所による弾劾認容決定によって任期を全うすることなく、就任から1060日で罷免された。

朴槿恵(パク・クネ)元大統領に続き、憲政史上2例目だ。結局のところ、尹錫悦政権の看板公約だった労働・教育・医療改革をはじめとする様々な国政課題も動力を失い、挫折の危機に直面している。

尹政権の路線は“文在寅の否定”

朴槿恵・崔順実(チェ・スンシル)ゲートの特別検察チーム長を務め、文在寅(ムン・ジェイン)政権下で検察総長だった尹前大統領は、2021年6月、尹奉吉(ユン・ボンギル)義士記念館で記者会見を開き、当時の政権に鋭く対立しながら政界入りと大統領選出馬を宣言した。

尹錫悦前大統領
(写真=時事ジャーナル)尹錫悦前大統領(左)とキム・ゴンヒ夫人

その後、わずか1カ月で「国民の力」に正式入党し、本選候補に選ばれた。そして2022年3月9日、48.56%の得票率で、当時の「共に民主党」候補・李在明(イ・ジェミョン/47.83%)を0.73ポイント差で破って当選した。

わずか8カ月で権力の頂点に立った尹前大統領は、直ちに大統領執務室の龍山(ヨンサン)移転を発表し、「青瓦台時代」に終止符を打って「龍山時代」を切り開いた。

さらに「再び大韓民国、新たな国民の国」という国政ビジョンを掲げ、前政権(文在寅政権)の残滓を清算する方針を本格化させた。その一環として、無分別な現金ばらまき型福祉政策を批判し、「健全財政」路線を打ち出した。

また、文政権の脱原発方針をイデオロギー的と見なし、「原発エコシステムの復元」でも先頭に立った。

経済分野では「民間主導の成長」を掲げ、原発や防衛産業など様々な分野で輸出を促進し、経済の活力を取り戻そうと努力した。外交面でも、グローバル秩序の再編に対応し、「韓米日3カ国同盟」の強化に努めた。

さらに3年間で数十回にわたる海外歴訪を通じて、欧州やアジアを行き来し、自らを「1号営業マン」として外交セールスにも積極的に取り組んだ。

とりわけ尹前大統領は、120の国政課題および未来世代のための労働・教育・年金という「3大改革」に集中し、国内の「既得権カルテルの清算」に注力した。

労働分野では、労使法治主義の確立を掲げ、民主労総(全国民主労働組合総連盟)貨物連帯による集団運送拒否に強硬姿勢で臨み、原則を貫いた。教育分野では、「ヌルボム学校(放課後常時ケア・学習支援制度)」や塾業界のカルテル解体に尽力した。

18年間止まっていた年金改革も政府案を提示して積極的に推進した。あわせて、医療改革や少子化への対応にも取り組んだ。

与野党関係は悪化の一途…支持率10%台に転落

しかし、こうした3年間の国政運営の中で、尹前大統領の「支持率スコアボード」は30~40%の「ボックス圏」から抜け出すことができなかった。

「尹錫悦式の一方通行リーダーシップ」と「巨大議席」を持つ野党との衝突が続いたためだ。

政治経験が不足していた尹前大統領は、対話や妥協よりも「反国家勢力」「既得権カルテル」などの言葉で野党に対抗する姿勢ばかりが目立った。任期中に李在明代表とのトップ会談も、わずか一度しか行われなかった。その一度も、昨年4月の総選挙敗北を受けた危機状況のなか、しぶしぶ応じたものだった。

尹錫悦前大統領
(写真=国会写真記者団)尹錫悦前大統領

与党との関係も順調ではなかった。「親・尹錫悦」とされるキム・ギヒョン議員が党代表になった際には、「尹心(尹錫悦の意向)」騒動が起こり、与党が「龍山の二軍部隊」と揶揄された。

特に、30年来の友人とされるハン・ドンフン前「国民の力」代表が非常対策委員長として党権を握ったとき、いわゆる「尹・ハン葛藤」や「大きな派閥」発言の論争が起こり、与党が総選挙で惨敗する決定的な原因を作った。

尹前大統領のメディア対応も不十分だった。当初、「龍山時代」の開始にあたり、出勤時の記者とのやり取り「ドアステッピング」で活発なコミュニケーションを行うと明言していた。

しかし、MBCとの「バイデン–ナルリミョン」(尹大統領がアメリカ訪問中に行った発言の真意をめぐる論争)騒動の後、就任からわずか60日でドアステッピングは中止された。その後、尹前大統領が行った国民向けの記者会見は数えるほどしかなく、主に批判が起きたときの「釈明の場」として活用するにとどまった。

特に尹前大統領の足を引っ張った決定的なリスクは、妻・キム・ゴンヒ氏にまつわる問題だった。

大統領選前から続いていたドイツモーターズ株価操作疑惑に加え、任期後半には、いわゆる「ミョン・テギュンゲート」と呼ばれる公認介入スキャンダルまで発生した。野党は何度もキム・ゴンヒ氏に対する真相究明を求め、「キム・ゴンヒ特検法」を提出したが、尹前大統領は拒否権を行使してこれを阻止した。

これは、自らが就任演説で強調した「公正と常識」と真っ向から対立する行為だった。

このように対立と不和が深まるなかで、尹前大統領の支持率は任期末に10%台にまで急落した。当初、「選手はスコアボードを気にしない」と語っていた尹前大統領だったが、大統領室内部では不安が広がった。それを打開しようと記者会見を開き、「格差解消」を新たなキーワードとして打ち出して局面転換を図ったが、効果は薄かった。

加えて医学部定員増をめぐって医療界と長期的な対立が起き、国民生活にまで影響を与えることで、民心はさらに離れていった。

ついに尹大統領は、昨年12月3日、野党が政府予算を一方的に削減したことを口実に「親北反国家勢力を一掃する」として、45年ぶりに非常戒厳を宣言し、自ら弾劾の引き金を引いた。

戒厳状況は、その日の夜を越すこともなく終息し、国会は尹前大統領の責任を問うかたちで、12月14日に弾劾訴追案を可決した。その後、111日間にわたる長い弾劾局面を経て、憲法裁判所はついに4月4日、尹前大統領の罷免を決定した。

1060日間続いた「星の時間」が、ついに幕を閉じた瞬間だった。

(記事提供=時事ジャーナル)

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