尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領が4月14日、初の正式な刑事裁判に出廷し、内乱の首謀者という容疑を全面的に否認した。
42分にわたり検察側の起訴事実に反論した尹前大統領は、12月3日の非常戒厳令発令の正当性を強調し、戒厳前に主要関係者らと行った「安全家屋(大統領の秘密施設)」での会合についても、文在寅(ムン・ジェイン)前政権の過ちを正すためだったと主張した。
尹前大統領はこの日、ソウル中央地裁・刑事合議25部(チ・グィヨン部長判事)の審理で開かれた初公判に出廷し、自ら冒頭陳述に臨んだ。12月3日の非常戒厳事態を「数時間のうちに非暴力的に国会の非常戒厳解除要求を即座に受け入れて解除した事件」と定義した。
また、検察の起訴状について「12月3日午後10時30分から翌朝2~3時までの数時間の状況を羅列的に記載した起訴状だ」と指摘し、「まるで供述書をそのまま起訴状に貼り付けたような、このようなものを、内乱として構成したこと自体が法理に合わないと思う」と主張した。
続けて、過去に全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)元大統領が引き起こした内乱事件について言及。「私も過去に多くの事件を担当しながら、12・12軍事クーデター、5・18光州事件に関する起訴状や判決文を分析してきた」としたうえで、「12・12以降、政局安定計画を土台にして5・18や同年8月に至るまでの長期間にわたる、いわゆる内乱事件であっても、起訴状はそれほど長くなかった」と批判した。
さらに「憲法裁判所による弾劾審判の過程でも、捜査機関による一方的な関係者の供述が多数棄却され、実体が明らかになった」とし、「そうした点が反映されず、初期の内乱扇動過程で怯えた人々が捜査機関の誘導に従って行った供述が、検証もされずに多数反映された」と強く非難した。
戒厳前に三清洞(サムチョンドン)の安全家屋で会合を行った理由については、「文在寅政権の責任だ」と反論。尹前大統領は「内乱の構成など話にならない。文在寅政権時代に防諜司令部がベテラン捜査官を追い出し、情報・捜査能力を半分にまで減らしたため、我が国の軍事・防衛産業情報の流出が非常に脆弱な状態となった。私は大統領に就任直後に強化を緊急指示した」と述べた。
また、戒厳令を事前に準備するためにキム・ヨンヒョン前国防部長官を任命したという指摘については否定。「戒厳というものは、特定の状況を想定して常に準備しておくものだ。だから合同参謀本部には戒厳課があり、マニュアルがあり、様々な訓練も行っている」と説明した。
ムン・サンホ前情報司令官の再任に関しても、「前政権時代、非常に有能な情報司令部幹部が昇進できずに辞職せざるを得ない状況になったのが惜しく、准将に昇進させ、階級に応じた指揮系統が重要と判断して再任した」として、戒厳令準備との関係を一蹴した。また、ハンバーガー店で戒厳令を謀議したとされるノ・サンウォン前情報司令官については、「全く知らない人物だ」とした。さらに「戒厳とは大統領が決定するものであり、大統領が決定もしていないのに、こうした話をするのは理解できない」と一線を引いた。
このほか尹前大統領は、「キム・ヨンヒョン前国防長官に、11月27日から29日にかけて話をし、もしも野党が監査院長の弾劾案を提出しなければ、(戒厳を)なかったことにしようと指示した」と述べ、野党による監査院長の弾劾が戒厳令発令の決定的要因だったと主張した。
尹前大統領の陳述に先立ち、弁護人のユン・カプグン弁護士は「起訴事実のすべてを否認する」と表明。「非常戒厳が内乱だというならば、未来の世代にまともな国家を残すための行為が、内乱の目的になるという奇妙な状況になってしまう」とし、「尹前大統領は国会の封鎖を指示した事実は一切なく、国会議員らを令状なしに逮捕・拘束せよと指示したこともない」と強調した。
一方、検察は「これより“尹錫悦被告人”と称する」とし、国政状況に対する尹前大統領の認識や非常戒厳の事前謀議などを言及した上で、「尹前大統領は国の憲法秩序を乱す目的で暴動を起こすことにした」と主張した。
また「被告人は、国会と選挙管理委員会など憲法機関の権限行使を不可能にし、令状主義、政党制度など憲法・法律の機能を消滅させる目的で、非常戒厳を韓国全域に発令した」と説明。ほかにも、警察と戒厳軍が国会や選管に投入された事実にも触れ、「暴動色が強く表れた地域は京畿(キョンギ)・水原(スウォン)の選挙研修院や、世論調査会社などだ」とし、「検察はこのような被告人の内乱首謀者としての容疑に、刑法第87条を適用して起訴した」と述べた。
尹前大統領は、今月4日に憲法裁判所の罷免決定が下ってから、10日ぶりに“自然人”の身分で刑事裁判に臨んだ。1月26日に現職大統領としては初めて起訴・拘束されたが、拘束取消しとなり、検察がこれに対する抗告を放棄したため、現在は在宅のまま裁判を受けている。
尹前大統領は9時50分頃、濃紺のスーツに赤いネクタイを締めて法廷に入場。緊張した様子ながらも冷静な表情で被告席に座り、弁護人らと会話を交わしながら傍聴席を見つめる場面も見られた。10時に裁判部が入廷すると、尹前大統領は立ち上がって深く頭を下げて挨拶をしていた。
裁判長のチ・ブジャン判事は開廷を宣言し、被告人の身元確認のための人定質問を開始した。
裁判長が「生年月日は1960年12月8日。職業は前大統領。住所は」と尋ねると、尹前大統領は「瑞草洞アクロビスタ(尹前大統領の私邸)」と答えた。
陳述拒否権の告知後、国民参与裁判(陪審員制度)を望むかという裁判部の質問に対して、弁護人は「望まない」と回答。続けて「被告人の意思も同じか」と問われた尹前大統領は、小さく頷いた。
午前の裁判を終えた尹前大統領は、ソチョ洞の自宅へと戻った。裁判所が大統領警護処の要請により、地下駐車場からの出入りを許可したため、その様子は非公開となっている。また、裁判部が朴槿恵(パク・クネ)元大統領や李明博(イ・ミョンバク)元大統領の時とは異なり、法廷での撮影を当面不許可としたため、出廷時の写真や映像は残っていない。
(記事提供=時事ジャーナル)
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