誕生秘話と苦難を乗り越えて掴んだ栄光…東方神起とSMエンターテインメントの“光と影”

2021年11月17日 K-POP #アイドル
このエントリーをはてなブックマークに追加

東方神起が日本で有名になっていくスピードと歩調をあわせてその名を急速に広めていったのが、SMエンターテインメントだ。

東方神起だけではなく、SUPER JUNIOR、SHINee、少女時代、f(X)などK-POPのトップランナーが所属する総合エンターテインメント企業である。

近年はEXOがブレイクし、2013年の総売り上げが2000億ウォン(約200億円)を超えて日韓で大きな話題になったが、ほんの十数年前までは売り上げ10億ウォン(約1億円)に過ぎない会社だった。

【関連】K-POPアイドルグループ“多国籍化”の光と影①なぜ外国人メンバーが増えているのか

売り上げ200倍!? 東方神起と韓国屈指の芸能企業

設立者は、イ・スマン。

1970年代にフォークシンガーとして活躍し、1980年代にはラジオDJやテレビ司会者として人気を博した彼は、1989年に自身の名の頭文字からなるレコード制作会社「SM企画」を立ち上げ、同社を1995年に「SMエンターテインメント」として法人化させ、数々のアーティストを世に送り出した。

代表的なのは、1996年デビューの「H.O.T」と1998年デビューの「SHINHWA(神話)」だ。両グループともに圧倒的な人気を誇り、韓国の音楽史やアイドル史が語られる際には必ず登場するレジェンドだ。

同じ頃、イ・スマン会長はオーディションでBoAを発掘し、韓国はもちろん、日本にも進出させる計画を始動。2000年に韓国デビューし、翌2001年に日本デビューも飾った彼女は、瞬く間に日韓で人気を博した。

韓国出身の若手アーティストが日本で成功を収めた初めてのケースであり、その陰には1999年からSMに入社したキム・ヨンミン氏の存在があった。

父の仕事の関係で、4歳の頃から高校卒業まで日本で生活したキム・ヨンミン氏は、エイベックス、ホリプロ、吉本興業など日本のエンターテインメント企業とのパートナーシップでBoAの日本進出プロジェクトを主導。

一躍、社内のキーパーソンとなり、SMの海外進出事業を一手に担うことになる。

東方神起は“五臓六腑”がグループ名の候補だった

そんなSMが満を辞して2004年にデビューさせたのが、「東方の神が起きる」と意味を込めて名付けられた「東方神起」だ。

デビュー当時の東方神起

前へ

1 / 4

次へ

RELATION関連記事

デイリーランキングRANKING

世論調査Public Opinion

注目リサーチFeatured Research