「(韓国や台湾などには)向こう30年、日本にはちょっと手を出せないな、みたいな、そんな感じで勝ちたい」。2006年の第1回WBCを控えて出たコメントだ。
これをめぐって韓国の世論は沸き起こった。生意気さを越えた“妄言”として糾弾された。
ただ、後に誤って伝えられたことが明らかになった。本来の意図と違って曲解されたということだ。しかし、不適切だという点は変わらない。度が過ぎた表現で攻撃的すぎる。誤解を招きかねない。
『おしえて!イチロー先生』の場合もそうだ。話はわかる。感情のコントロールは徹底しなければならない。実際の試合当時もそうだった。決勝打を打って二塁に安着した。日本の選手は大騒ぎで、誰もが彼に賛辞を送っていたが、一人だけ無表情だった。まったく顔に出さず、冷静さを保っていた。
完璧を追求することは良いことだ。特有の長所かもしれない。しかし、不適切な表現は意味を傷つける。あえて“屈辱”と言う言葉を用いた。今回勝つだけでは満足できない。この先もやる気を出させないようにする。そのような意図が込められた。“30年発言”と変わらない論理だ。
「襟度」という言葉がある。韓国ではたびたび「禁度」の意味で使われる。越えてはならない線という意味だ。しかし、この言葉の本来の意味は違う。「襟が広ければそれだけ抱くことができるものが多い」として、心の広さや度量を意味する。そのような意味で、イチローの意識は「襟度」とはほど遠いと言って良いだろう。
(記事提供=OSEN)