この週末、日本では女子プロゴルフの今季メジャー第3戦の『日本女子オープン』が開催中だが、韓国では「KEBハナバンク選手権」が開催されている。
同大会は2006年から2018年まで全米女子ゴルフツアーのアジアツアーのひとつとして行われた大会で、初代王者は朴セリだった。
朴セリといえば、1998年にいきなり「全米女子オープン」と「全米プロゴルフ選手権」を制して韓国に空前のゴルフ・ブームを巻き起こした人物。
現在、アメリカ、日本、韓国には彼女の影響でゴルフを始めた選手が多く、イ・ボミ、申ジエ、チェ・ナヨンなど“朴セリ・キッズ”であることを公言する女子プロたちは多い。
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そんな朴セリが現役引退を表明したのは2016年3月。同年10月に開催された「KEBハナバンク選手権」初日がプロゴルファーとして最後のラウンドとなった。
成績は8オーバー76位タイ。最後のラウンドが最下位という形に終わったが(棄権)、ラウンド前は「100打以内で収めるのが目標」と語っていただけに悔し涙はなかった。むしろ最終18番ホールは涙が止まらなかったという。
そして迎えた引退式。父パク・ジュンチョルさんと抱擁すると、韓国女子ゴルフ界の“生きる伝説”は人目もはばからず号泣した。
韓国女子ゴルフの強さの影には“ゴルフ・ダディ”の存在があるとよく言われるが、パク・ジュンチョルさんはその元祖だ。
1998年に一度、韓国の大田市まで赴いてパク・ジュンチョルさんを取材したことがあるが、ギラギラとエネルギッシュで娘のためにすべてを捧げてきたというオーラに圧倒されたものだった。
ただ、そのパク・ジュンチョルも年を取った。引退式に登場した少し老けたパク・ジュンチョルの姿を写真で見たとき、「あれから20年近くの歳月が過ぎたのか」と感慨深くなった。
もっとも、その20年の間に韓国女子ゴルフは驚異的な飛躍を遂げている。
このときの「KEBハナバンク選手権」にも、朴セリ監督のもとリオ五輪を戦ったチョン・インジ、キム・セヨン、エイミー・ヤンなど“ファンタステック・フォー”が顔を揃えたし、チェ・ナヨン、ジャン・ハナ、ユ・ソヨン、キム・ヒュージョといったアメリカツアー組はもちろん、パク・ソンヒョン、コ・ジニョンなど伸び盛りでアメリカ進出も秒読みと言われる韓国国内の若手たちが多数出場していた。
そんな後輩たちに囲まれて引退した朴セリ。引退式にはなんと、韓国人初のメジャーリーガーでもあるパク・チャンホも駆け付けた。
2人は故郷が同じで、同じ時期にアメリカで活躍したこともあって、義理の兄弟の契りを交わした仲。パク・チャンホも現在は引退し、多方面で活躍しているが、4歳年下の朴セリにこんな言葉を送ったという。
「俺とお前はナム(木)だ。ヨルメ(実)になったことはない。ただ、ナムが育って実ができるように、今では多くの後輩たちが実になってそれぞれ頑張っている」
そうなのだ。韓国ではパク・チャンホの登場によってメジャーリーガーが増え、朴セリの出現によって前出した通り、多くの子供たちがゴルフを始め、立派なプロゴルファーに育っている。偉大な先駆者たちが切り開いてきた道を後輩たちが続いているのだから、朴セリにとってはこれほど喜ばしいことはないだろう。
韓国女子ゴルフを大きく飛躍させ、後輩たちの道標として20年近く走り続けてきた朴セリ。「ゴルフ選手・朴セリではなく、指導者としてゴルフ発展のために努力する人間になりたい」という “生きる伝説”は今年、東京五輪でも韓国女子ゴルフ代表の監督を務めた。
第二の人生でも幸多かんことを願うばかりだ。
文=慎 武宏
*この原稿はヤフーニュース個人に掲載した記事を加筆・修正したものです。
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