悪夢のような悲劇からちょうど30年が過ぎたが、遺族の傷はいつまでも消えない。
1994年10月21日に韓国ソウルで発生した聖水(ソンス)大橋の崩落事故だ。
10月21日、ソウル城東(ソンドン)区・聖水大橋北端のインターチェンジ付近にある慰霊塔前では慰霊祭が行われ、犠牲者の遺族をはじめ、城東区と舞鶴(ムハク)女子高等学校の関係者など約40人が参加した。
今から30年前の1994年10月21日午前7時40分頃、漢江(ハンガン)に位置する聖水大橋(全長1160.8m、4車線道路)の中間部分が突然崩落した。通勤中の車両やバスなどが約20m落下し、登校途中だった舞鶴女子中学校・高等学校の学生9人を含む32人が死亡した。
単純な人命被害という観点でみると、さらに多くの犠牲者を出した事故も多いが、1979年に完成した首都に架けられた橋が前触れもなく崩れ落ちるという信じられない事故として、多くの人々の記憶に残っている。
何よりも聖水大橋崩落事故は、「人災」といわれている。事故後の調査によって、建設会社の数々の「手抜き」の実態が明らかとなり、市の財源不足により定期点検ができていなかったことなどが判明した。
事故発生以前から、走行中に揺れが激しいと苦情が寄せられ、ソウル市は事故前日の夜も応急の補修工事を行っていたが、事故を防げなかったのだ。
慰霊祭で遺族代表のキム・ヤンスさんは「事故が起きてから30年が過ぎたが、遺族たちは今も10月になると大きな悲しみに包まれる。私たちの社会でこのような事故がこれ以上、発生しないことを願う」と話した。
(文=サーチコリアニュース編集部O)
■韓国で頻発する「不注意による事故」や「人災」、国民の安全意識はどうなっているのか
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