私はそのエピソードの目撃者でもある。
それは決勝戦を終えた夜。U-19韓国代表を率いたパク・チャンソン監督の部屋でインタビューを終えたあとのことだった。
部屋を出てフロアの廊下を歩いていると、イ・ドングッとパク・ドンヒョクに呼び止められたのだ。
「ちょっと僕らの部屋に来てくれますか?」
言われるがままにイ・ドングッの部屋に行って見ると、そこには日本の播戸竜二と小笠原満男がいるではないか。
話を聞いて見ると、同じホテルに宿泊していた日韓の若手選手たちは大会期間中に顔を合わせることで仲良くなり、2人は別れの挨拶をしにイ・ドングッの部屋を訪ねたという。
ただ、言葉が通じず、うまくコミュニケーションできなかったところに、日本語と韓国語がしゃべれる私が通りかかったということで、急遽、日韓選手の通訳を務めることになったのだ。
そのときのことは『週刊サッカーダイジェスト』1998年12月2日号に寄稿したが、その記事の一部を、ここに再現したい。
アジアユース後、イ・ドングッが思いもしなかった事実を教えてくれた。
「実はね、この前、播戸が僕らの部屋に遊びにきたんだ。身振り手振りの会話だったけど、お互い通じ合えたと思うよ」
日本の選手が韓国の選手の部屋を訪ねて、ひとときを過ごした。イ・ドングッからその話を聞いたとき、正直、耳を疑った。いくら同じホテルに滞在してるとはいえ、大会中にそのような交流があるとは信じられなかった。
何らかの企画で日韓サポーター同士の対談や、市民レベルでの交流会をセッティングした経験から感じる「どうせ形だけの交流なのだろう」と疑ったりもした。
しかし、それは大きな間違いだった。