冬季五輪のためにサムスンが支援した韓国「バンクーバー・プロジェクト」とは?

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開幕を間近に控える北京冬季五輪。日本でも各競技に関心が集まっているが、日本と韓国ともにメダル獲得種目として期待されているのはスピードスケートだろう。

【注目】韓国選手が北京五輪メダル獲得時にもらえる報奨金がスゴイ

韓国でスピードスケートは、メダル獲得が確実視されていることから、「(国に)孝行している」という意味を込めて“ヒョジャ(孝子)種目”と呼ばれているほどだ。そもそも韓国がスピードスケートで頭角を現し始めたのは、1980年代のこと。きっかけは、1986年に札幌で開かれた冬季アジア大会で、ペ・ギテが1000mで金メダルに輝いたことだった。

それまで韓国は国際大会で成果を上げられていなかったが、この大会以降に可能性が開けていった。

ペ・ギテは1988年のカルガリー五輪でも500mで5位に入り、1990年の札幌冬季アジア大会では2冠を達成。同年の世界スプリントスピードスケート選手権大会では総合優勝を勝ち取っている。

ペ・ギテに続いて看板選手として名乗りを上げたキム・ユンマンは、1992年のアルビールビル五輪に出場し、1000mで銀メダルを獲得。韓国に冬季五輪史上初めてメダルをもたらした。

ただ、その後はこれといった結果は上げられず、2006年のトリノ五輪でイ・ガンソクが銅メダルを獲得するものの、金メダルには手が届かない時期が続いた。

ターニングポイントとなったのは、2010年のバンクーバー五輪だった。イ・サンファとイ・スンフン、さらにはモ・テボムといった選手たちが金メダルを獲得したのである。

この大会をきっかけに韓国スピードスケートは世界にその名を轟かせたわけだが、その裏には、国を挙げた壮大なプロジェクトがあった。

韓国スケート連盟が2004年からスタートした「バンクーバー・プロジェクト」がそれだ。ショートトラックにばかりメダルが集中していた状況を打破し、スピードスケートとフィギュアも並行して発展させるべく、立ち上げられたプロジェクトだった。

目標は、スピードスケートとショートトラック、フィギュアスケートの3種目で金メダルを獲得すること。

韓国スケート連盟は、2009年までの6年間で196億ウォン(約19億6000万円)を投資。国内大会を活性化し、毎年約30回の海外遠征も支援した。

スポンサーとなったのは、1997年から韓国スケート連盟の会長職を担っているサムスンだった。

実際にバンクーバー五輪後、韓国スケート連盟のパク・ソンイン会長(当時)は、「サムスンが連盟を受け持ち、13年間継続的に支援してきたことが実を結んでいる」と語っている。韓国スピードスケートは、この「バンクーバー・プロジェクト」があったからこそ、その名を世界に知らしめることができたのである。

だが、その韓国のスピードスケートも今回の北京五輪では苦戦を強いられそうだ「韓国スケート連盟の支援なしではこんな結果を得ることは難しかっただろう」とは、スピードスケート韓国代表のキム・グァンギュ監督(当時)の言葉だ。

今や韓国のお家芸となったスピードスケート。今回の北京五輪に出場する選手たちも粒ぞろいだ。

平昌五輪男子500m銀のチャ・ミンギュ(議政府市庁)、平昌五輪男子1500m銅のキム・ミンソク(城南市庁)、スビードスケートW杯の男子マススタートで優勝経験もあるチョン・ジェウォン(ソウル市庁)、男子500mのキム・ジュンホ(江原道庁)などがそうで、女子500mと1000mのキム・ミンソン(議政府市庁)、女子1000mのキム・ヒョンヨン(城南市庁)なども北京五輪出場権を獲得した。

バンクーバー五輪とソチ五輪で2大会連続・金に輝き、平昌五輪でも日本の小平奈緒と名勝負を演じた女王イ・サンファ(2019年引退)のような絶対的エースはいないが、平昌五輪で男子マススタート金のイ・ソンフン(IHQ)と女子マススタート銀のキム・ボルム(江原市庁)など不祥事で一時物議を呼んだメダリストたちも、北京を“汚名返上”の機会にしようと誓っているに違いない。

韓国スピードスケートが北京五輪ではどんな成果を上げるか注目したい。

(文=サーチコリアニュース編集部)

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